スペインでも世界の主だった国々同様、携帯電話の会社は大手の半寡占状態となっており、日本のように半国営企業がトップシェアを持っているという状況は変わらない。
リンク先の記事にある通り、大手3社とはテレフォニカ系列のMovistar(モビスター、あるいはモビエスタール)、イギリス資本のVodafon(ボーダフォン)、同じくイギリス資本のOrange(オレンジ)となっているが、この名前が大手3社として日本でも報じられるようになったのはつい最近の話。
多分、久しぶりにスペインの携帯会社の名前を聞く人はびっくりするんじゃないだろうか。2000年代前半にスペインに住んでいたことのある人であれば、携帯といえばMovistar、そしてAirtel(アイルテル)、Amena(アメナ)の3社くらいしか見かけなかっただろうと思う。
Movistarに関してはMotoGPのチームにスポンサー提供をしていたこともあるので知っている人もいるのではないかと思うけれど、AirtelやAmenaなんか日本で知っている人は恐らく皆無だろう。僕だってアメリカやイギリス、オランダの携帯会社なんか知るはずも無い。
実は、Airtelに関しては確か2002年ごろにVodafonに買収されてブランドごとVodafonに変わった経緯がある。スペインでもやはり「電波が繋がる」とか「メールの送受信可能な友達が多い」とかそういった事情で携帯を選ぶ人が多くて、かくいう僕も国籍を問わずスペイン国内在住の友達はほとんどがMovistarだったことや、最初に住んだ家の近くにMovistarを扱っている店しかなかったこともあってMovistarを使っていた。Amenaは確か今のソフトバンクがやっているように、同キャリア同士の通話であればMovistarに比べて相当安い通話料で話せるなど、今から考えれば画期的なプランを提供していたのだけれど、残念ながら最大手には叶わず、持っている人をほとんど見かけなかった。
Airtelもメールが無料になったりといろいろサービスは提供していたが、結局Movistarには太刀打ちできなかったようだ。テレフォニカはスペイン国内だけでなく、南米にもネットワークを持っていて、旧植民地の南米諸国のうち数カ国に現地法人を持っている。正確にどこだったかは思い出せないけれど、恐らくネットで調べてみればすぐに出てくるだろう。そして、その南米法人がある国では、やはりスペイン国内同様に最大手になっているケースが多いようだ。
ただ、別にテレフォニカのサービスが抜群にいいかと言うと決してそんなことはなく、通話料はけっこう高いし、メールを送るにも1通あたりの送信料が10ペセタほど取られたりと、割高な印象は今でも残っている。当時はまだ携帯のインターネットメールがさほど一般的ではなかった頃だし、2000年と言えばようやく日本でもi-modeが出回り始めた頃。僕はスペインに旅立つ直前までショートメールしか使えないタイプの携帯を使っていたので、帰国してから皆がカラーのディスプレイで普通にEメールをやり取りしているのを見て驚愕したことを覚えている。
他の会社はどうだったか知る由も無いけれど、Movistarは電話番号@movistar.netというEメールアドレスを全ての電話が持っていたため、極端な話だと日本のi-modeユーザーともやり取りが可能なはずだった。確かに成功することもあったのだけれど、5回に2回くらいはなぜか届かなかったりするため、確認をメールで取りながらメールをするのに疲れてすぐにやめてしまった。
スペインの今の携帯電話がどうなっているのかはよくわからないけれど、スペインでも携帯ネットサービスはあるみたいなので、ひょっとしたらEメールのやり取りもできるのかもしれない。一時期DoCoMoがテレフォニカにi-modeサービスを売るという噂もあったのだが、あれはどうなったのだろうか。
ところで、スペインで携帯を持っていたといっても、日本のような契約回線ではない。所謂プリベイド携帯である。契約回線を取ろうとすると、半年から1年間、定期的に取引確認が可能な銀行口座が必要になることと、契約料が妙に高いので留学組みには敷居が高かったのだ。スペイン人の友人ですら諸々の手続きの面倒くささからプリベイド式で済ませている連中が多かった。
プリベイド式だとまず電話機を買い、それから電話会社のプリベイドSIMチップを買う。中には「3000ペセタセット」とか「5000ペセタセット」のSIMチップが売っていたり、「電話機と3000ペセタSIMチップパック」みたいなものが15000ペセタとか古い機種だと2000ペセタくらいで売っていたりするので、それを買うわけだ。日本でも今でこそFOMAなどはこのパターンになっているけれど、どうやらヨーロッパだと大昔からこういう形で販売していたらしく、非常に重宝したことがある。何しろ、自分の携帯が壊れても、その辺を歩いている人にSIMチップを見せて、「ちょっと携帯を貸して欲しい」と言えば、その人がヒマでさえあれば貸してもらえることだってあるわけだから。友達同士ではけっこうよく使った手である。
どこの国のヤツでも「トイレに携帯を落とした」とか、「ビールをこぼした」みたいなマヌケなことをするヤツはいるもので、学校ではしょっちゅうそんなやり取りを見たものだった。
僕は幸いそんなことはなかったけれど、その代わり道端ですれ違うホームレスにタバコをねだられることはやけに多かった気がする。減るものではあるけれど、こっちもその辺の喫煙者に「くれ」と言えば普通にくれるので、別に渋る必要は無かったというのもある。
そんなスペインも今では携帯の新規参入が増えているという話だし、一昨年の秋に久しぶりに行った時には何と「禁煙法」ができていた。体育館だろうが長距離バスのなかだろうが、空港のロビーだろうがコンサートホールだろうが、所構わずスパスパとタバコをふかし、吸い終わったら道端に投げ捨てるという、JTが見たら卒倒しそうなマナー無視のあの国で、である。
月日がたてばいろいろ物事は変わっていくのだけれど、そういう移り変わりを見ていくのも、これも一つの楽しみなのかもしれない。
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カンタブリア州は世界地図を基準に見た場合、スペインの北部、フランス側から数えるとナバーラ、バスクと来てカンタブリアの順に見ることができる。
州都はサンタンデールでイワシの漁が盛ん。名物料理は魚介類を使ったものが多く、食事も美味いし風光明媚で夏も涼しく避暑地にはもってこいの場所だ。夏になるとフランスやスイス、ドイツやイングランドから観光客が大挙して押し寄せ、2週間から1ヶ月くらいをサンタンデールで過ごしたりすることが多い。ヨーロッパの学生の中には1ヶ月ある夏休みを利用して、避暑と勉強を兼ねてサンタンデールにある国立カンタブリア大学や、そのすぐ近くにある私立メネンデス・ペラージョ大学の外国人コースでスペイン語を学びに来る学生もたくさんいる。
よく「カスティーリャ」とか「カスティリア地方」などと日本語で紹介される地域は、一般的にサラマンカ、バリャドリー、レオン、ブルゴスなどがある「カスティージャ(リャ)・イ・レオン州」のことを指しているが、地域的な並びで見た場合はすぐ隣であるにも関わらず、意外と交通の便が悪いことで有名だった。
僕はスペイン留学時代、最初の2ヵ月半をサンタンデールで過ごした後にバリャドリーに引っ越したのだけれど、サラマンカに住んでいた同じ大学の友人に会うためにサンタンデールからRENFEを使って行こうとすると異様に不便だったことが記憶に残っている。
今回のニュースでは高速道路が開通したということなのだが、高速道路も2000年当時は途中までしか整備されておらず、カスティージャ・イ・レオンに向かう途中の道は一般道の山道で、片側一車線。めちゃくちゃ狭いのでスピードも出せず、カーブも多いから車酔いしやすい人には地獄のようなバスだったことだろう。飛ばせないから時間もかかるので、距離的には400Kmくらいしかないのに6時間くらいかかったような記憶がある。ちなみに、マドリーからサンタンデール行きのコンティネンタル・オートというバス会社が出している高速バスを使った場合はやはり6時間〜7時間で着く。ルートが違ったのだろうけれど、サンタンデールとカスティージャ・イ・レオンを結ぶ路線とはかなり景色が違っていたことは覚えている。
行ったことのない人からすれば、スペインの地理的な特徴なんて想像もつかないことだろうけれど、スペイン北部にあるガリシア、アストゥリアス、カンタブリア、パイース・バスコ(バスク)、ナバーラ、ラ・リオハは所謂山岳地帯で、スペイン一周の自転車レース「ブエルタ・ア・エスパーニャ」などでもこのあたりのコースは山岳ステージで使われることが圧倒的に多い。ただの山道ではなくクネクネと曲がりくねっていて尚且つ傾斜もキツイ場所がいくつもあるため、車も含めて交通事故がけっこう多い。
サンタンデールからビルバオに行くのは1時間半くらいだけれど、その道のほとんどが山道。高速道路は確かほとんど使われていないはずだ。
このA-67という高速道路が全線開通すれば、所要時間も大幅に短縮されるだろうし、カンタブリアへの移動はかなり楽になるのではないだろうか。
ちなみに、スペインの高速道路は無料通行の区間が多く、あまり料金所にお目にかかることはない。ガリシアだとビーゴからラ・コルーニャへ向かう路線で1箇所か2箇所だけ料金所があったけれど、他の場所ではあまり見た記憶がないくらい無料通行区間が多い。日本も早くそうなって欲しいとは思うけれど、当分の間は無理だろうなあ…。
なお、サービスエリアは日本の高速道路にあるものをイメージしていると大変なことになる。特に「ここがサービスエリアでござい」というような看板が出ているわけでもなく、突然道端に普通のバルと駐車場が出現する。それがサービスエリアのようになっている。一体どうやって荒野のど真ん中に建てたのだろうと毎回不思議には思っていたのだけれど、中に入るとごくごく普通のバルで、従業員も普通の人達。コーヒーやメヌー・デル・ディアやプラト・コンビナードと呼ばれる日替わりメニューや定食も普通に出してくれるし、ボカディージョというフランスパンで作ったスペイン風サンドウィッチも街中のバルと同じようにテイクアウトできる。
中にはトレラベガのサービスエリアみたく、バス会社直営のサービスエリアなどもあったりして、ここはかなり近代的な作りになっていたりするのだけれど、普通のバル式サービスエリアに慣れてしまうと、日本のサービスエリアのハイテクぶりと充実振りには驚かされる。
いつかはレンタカーを借りてスペインを爆走してみたいと思ってはいるのだけれど、あの時速150Km巡航の中に何食わぬ顔をして入っていけるかどうかというのが目下一番の悩みどころかもしれない…。
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先週あたりからかなりメディアに取り上げられ、一躍ブームとも呼べる状態になっていた日本のハンドボール。女子、男子の試合ともフルマッチを見てしまい、非常に楽しい時間を過ごすことができた(テレビ観戦だったけれど)。
もともと生観戦は無理だったのだけれど、聞けば入場チケットは発売から40分ほどで即座に完売したらしいというから「予選のやり直し」というセンセーショナルな事件とメディアへの登場回数が手伝って、「どれ、一度見に行ってみるか」という人達と、恐らくかなりの数がいるハンドボールファンが買い求めたに違いない。
さて、「ハンドボール」は日本語だと「送球」。中国語だと「手球」らしいけれど、手でボールを扱ってゴールに投げ入れる=送るということだから、手球よりは送球のほうがやはりしっくり来るのだろうけれど、「ハンド(手)ボール(球)」という英語の訳としてはどうなのだろうか。意見が分かれるところだろう。
スペイン語だとどうなるのか、と無理矢理自分のフィールドに話を持っていくのだけれど、スペイン語の場合は中国語のように「ハンドボール」の直訳で「Balonmano=バロンマーノ」と呼ばれる。「Balon」がボール。「Mano」が手。つまり、手球である。
スペイン最大のスポーツ新聞、かつスペイン最大発行部数を誇る超巨大メディアであるMARCAにもこのバロンマーノの専門コーナーがある。リンクを見てもらえればわかる通り、個別に競技専門のコーナーが設置されているスポーツは言うまでも無くスペイン国内での人気スポーツである。
サッカーはもはや語る必要も無いけれど、F1、自転車、バイク(MotoGP)、ラリー(WRC)、バスケットボール、テニス、ゴルフ、陸上競技、そしてハンドボール(バロンマーノ)。これらがスペインで一般的に人気のあるスポーツだ。ちなみにフットサル(Fúbol Sala=フッボル・サラ)も人気スポーツの一つだが、種目としてはサッカーの一部とされているため、スポーツ新聞のWebサイトなどではサッカーの一角にコーナーが設置されていることが多い。
スペインのハンドボールはテレビでもちょこちょこ放映されていて、コパ・デル・レイの決勝などは国営放送TVEで生中継されるし、元々ヨーロッパでは全体的に人気があるため、サッカーやバスケットボールのようにチャンピオンズ・リーグもちゃんとある。スペイン国内の強豪と言うと当然FCバルセローナが第一に挙げられるが、順位表を見ると現在はシウダー・レアルに1ポイント差の2位。今後どうなるのだろうか。
国内リーグはプロ。Liga ASOBAL(リーガ・アソバル)という名称だが、そこまで細かく見ていたわけでもないのでレギュレーションなどは全くわからないのが残念。なぜASOBALなのかを考えてみたが、恐らくAsosiación de Balonmano(アソシアシオン・デ・バロンマーノ)の頭文字を取ったとか、そんなところだろう。
バルサはハンドボールのチャンピオンズ・リーグでも1996年から2000年まで4連覇するなど、ヨーロッパでも強豪中の強豪。サッカー、バスケットボールと並んでFCバルセローナの看板スポーツである。
これだけだとハンドボールがスペインでどれだけポピュラーで身近かつ人気度の高いものかはわからないと思うけれど、ハンドボールの選手は存外に有名な場所にいたりする。
現在は確か引退しているはずだけれど、スペイン国王フアン・カルロス1世とソフィア王妃の間に生まれたクリスティーナ王女の伴侶は、元バルサのハンドボール選手、イニャキ・ウルダンガリンである。スペイン代表としても大活躍した名選手で、確か92年のバルセローナ・オリンピックのハンドボール競技会場にクリスティーナ王女が観戦に訪れたのがきっかけで交際が始まったとかなんとか、スペインに住んでいた頃に昼間の下らないワイドショーみたいなテレビで言っているのを聞いた記憶がある。ちなみに、ウルダンガリンは確か2000年くらいに現役を引退しているはずだが、僕が初めてスペインに行った1999年に交通事故で大怪我をして、引退が早まる可能性があるとかなんとかで大騒ぎになっていたのを見た気がするし、入院中のウルダンガリンにはクリスティーナ王女がしっかりと寄り添っていたのも見たことがある。
話が逸れたけれど、ハンドボールのスペイン代表は2005年に行われたハンドボール世界選手権で優勝するなど、一応ヨーロッパの強豪国。2000年には確か中央アジアだかグルジアだかそのあたりの国からかなり実力のある選手がスペインに帰化して、即代表入りし、それがスポーツニュースのトップニュースとして真昼間に伝えられていたことを覚えている。
しかし、MARCAのハンドボール順位表を見ると、スペインはやっぱり広いなあと妙なところで認識する。レアル・マドリーも確かハンドボールチームは持っていたような記憶があるのだが定かではない。仮に持っていたとすれば、順位表の中にレアル・マドリーの文字が無いからそんなに強くはないのかもしれない。バスケットボールは強いのだが…。
それはさておき、順位表に出てくる街の名前がサッカーとはまるで違う。サッカーではセグンダAですら名前の出てこないシウダー・レアルがハンドボールでは首位だし、恐ろしいことにグラノジェルスにハンドボールチームがあるなどという事実を僕は初めて知った。グラノジェルスというはバルセローナからセルカニーアスという日本で言う各駅停車みたいな電車で20分ほどの場所にある小さな街で、この街は僕の知識の中ではビリヤードのスリークッションで2001年のワールドゲームズ金メダルを獲ったダニエル・サンチェスの経営するビリヤード・クラブがあることくらいしか知らなかったのだが…。
あれこれと書いては見たものの、結局何が言いたいのかよくわからない文章になってしまったのでこの辺でやめておく事にしよう。
まとめるとすれば、いろんなスポーツがあって、それぞれ真剣勝負は面白いということと、やっぱり僕にはゴルフや野球など、道具が小さかったり細かったりするスポーツはやるのも見るのも向いていないということを改めて認識した3日間だったということだろうか。
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スペインオリンピック委員会、スペイン国歌への歌詞付与を撤回。
「国歌斉唱時の選手達が手持ち無沙汰に見えてみっともないのではないか」というよくわからない理由で歌詞を公募し、付与しようという動きのあったスペイン国歌だったが、結局「国民全体のコンセンサスが得られていない」ということを理由に早期の歌詞付与は見送られることになったらしい。
もともと、300年近くに渡って歌詞もなく受け継がれてきたスペイン国歌にいきなり歌詞を付けようと言い出しても改革だの改善だの変化だのをそんなに好む気質でもないスペイン人達にしてみれば、「????」という感じだったのではないかと僕は想像している。
ヨーロッパ諸国の国歌に付けられている歌詞は、その国の言葉を知らずに聞いていると局長も荘厳なものだったり厳かで厳粛なものだったりして憧れを持って聞く人もいるのではないかと思うけれど、成り立ちなり、歌詞の意味や背景を細かく拾っていくとけっこう微妙なものも多かったりする。確か現統一ドイツの国歌も歌詞についてはいろいろと議論が重ねられてできたものだと聞いているし、その過程では旧東ドイツに対してかなり気を使った内容だったと聞いた記憶がある。内容はよく知らないけれど。
フランスのラ・マルセイエーズにしてもフランス革命の内情を知ると、果たして現代の国歌として100%適しているのかという感じはしないでもない。この辺は主観が入ってくるし、他の国のことだから関係ないといえば関係ないのだけれど。
ちなみに、今回の歌詞公募では最終的に決まった歌詞をプラシド・ドミンゴが歌うという計画だったらしいが、それもオジャン。以下がその歌詞。
¡Viva España!
Cantemos todos juntos
con distinta voz
y un solo corazón
¡Viva España!
desde los verdes valles
al inmenso mar,
un himno de hermandad
Ama a la Patria
pues sabe abrazar,
bajo su cielo azul,
pueblos en libertad
Gloria a los hijos
que a la Historia dan
justicia y grandeza
democracia y paz
ちょっとめんどくさいので和訳は無しで。気が向いたら追加します。
■市民婚増加
以前紹介した政府と教会の骨肉の争いで話題になっていた結婚の話題。とうとうコムニダー・デ・マドリー(マドリー州)では教会婚を市民婚が上回ったらしい。
マドリーで結婚したカップルのうち約60%が市民婚を選択した計算になるとのこと。ただ、恐らく結婚手続きをどうしたのか、というよりは離婚の割合がどれくらいになっているのかということと、離婚を選択するカップルがどれくらいになっているのかというところのほうが気になる部分ではあるが、恐らく今ほど離婚手続きが簡略化されていなかった頃からも「事実離婚」みたいなものは多かったはずだから、実情はそれほど大差ないのかもしれない。教会からすると「だったら簡略化するなよ」という話になるし、反対勢力からすれば「だから簡略化するんだ」となる。見方の違いによって言うことは当然違ってくるのだからこの辺は厄介だ。どっちが正しいというものでもないだろうし。
ちなみに、僕は歌詞の無いスペイン国歌が好きだ。サンティアゴ・ベルナベウでのスペイン代表戦にフアン・カルロス1世が来た時に国旗の色にモザイクを作って国家が演奏されたのだけれど、どこからとも無くメロディーを歌い始めた人がいて、それが7万人に伝播して壮大なハーモニーを奏でたことがあった。フランスのラ・マルセイエーズも実際に聞いたら凄いのだろうけれど、歌詞のないメロディーだけを歌うあの迫力もけっこう捨てがたいんじゃないかと僕は思っている。
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12月30日、マドリッドのコロン広場(場所は下記地図を参照)で、マドリッド司教アントニオ・マリア・ロウコ・バレラ枢機卿を中心とする教会関係者の呼びかけにより、「キリスト教的家族のため」の集会が行われ、全国から500台近いバスを使って集まった信者がコロン広場を埋め尽くした。演壇に立ったロウコ枢機卿は、同性間の結婚や離婚手続きの簡略化など政府の家族政策について「スペインの法制度は、国連の人権宣言に逆行する」と政府を批判。また、バレンシア大司教アグスティン・ガルシア・ガスコ氏は、サパテロ首相の進める脱宗教化は、民主主義を消滅へと向かわせるだろうと語った。教会による政府批判を重く見たPSOEは2日、声明文を発表し、「憲法が宗教の自由を保証し、いかなる宗教も国教としての性格はないことを定めている」。「信仰は法により定めるものではない。また、価値観や共存のための規則の合法性は憲法に定められた原則に依拠する」と、教会の政治への介入を批判。この4年間の社会政策は、少子化対策、仕事と家庭との両立対策など、いずれも「家族」を重視したものであるとしたうえで、「スペイン市民が自由と権利を享受し、同時に、より寛容な共存関係を築くことができるよう前進する」と締めくくった。
【スペイン マドリッド 2008年1月3日】
大きな地図で見る
マドリーのコロン広場といえば、かつては(今でもかもしれないが)、バラハス空港からの市内行きバスの発着場所であり、尚且つスペインに到着するなりここでひったくりやスリにあうという日本人観光客の被害が多かった場所。
今ではバラハス空港から市内へもっと安全に移動できるメトロが以前よりも発達しているのでわざわざここに来る必要は無いとも言える。
そして、大きなデモ行進などは大体ここかシベーレス広場などを出発点にしたり、経由したりして行われることが多い。ということでバレーラ枢機卿もここを選んだのだろう。
スペインはカトリック世界では世界でも3本の指に入るほどの力を持つ国で、ローマ教皇もスペインを決して無視できない。また、これまでは比較的教会がアンタッチャブルな存在として社会でも強い影響力を持っていたため、歴代の政権もあまり教会に対する挑戦的な政策を打ち出してこなかったのだけれど、ここ何年かの間にPP(ペー・ペー=Partido Popular=国民党)からPSOE(ペソエ=Partido Socialista Obrero Español=スペイン社会労働党)に政権が移行したこともあり、記事にも書いてあるように同性愛結婚や離婚問題の政策を次々と施行していた。
同性愛結婚が認められない国はヨーロッパに限らず世界中で、多いけれど、離婚に関してはカトリックの国だけあってかなり厳しい状態だった。
まず、結婚式を教会で挙げた場合、離婚が基本的には認められず、「実質離婚」のような形を取りつつ裁判を行って正当な理由だと認められない限りは正式な離婚ができなかった。尚且つ、再婚する場合には教会で二度と結婚式を挙げられないというルールがあった。
そのため、最近では「宗教婚」と「市民婚」のどちらかを選択できるようになった。「宗教婚」は伝統的なカトリック式教会婚。「市民婚」というのは市役所などで市長や婚姻関係の担当部署長の前で、家族・友人が立ち会って行われる結婚式。この「市民婚」の場合は形式的なセレモニーと単純な書類手続きのみで行われるため、要するに日本の結婚式と一緒である。まあ、こう言ってしまうとちょっと語弊があるかもしれないが…。
ここでカトリックやキリスト教の歴史について言及してしまうと面倒なことになりそうなので避けることにしたいが、一つだけ確かなことは世界史上、教会が国家政策に強大な影響力を及ぼしたことがろくな事になったためしがないので、「¿Porqué no te callas?=黙ってはどうだろうか?」とフアン・カルロス1世のように毅然とした態度を取ることが必要かもしれない。
しかし、あの広いスペインから500台もバスを使って信者がコロン広場に集まったというのが凄い。一台に30人乗っていたとして30人×500台で150,000人。そんなにあの広場に集まれたというのも凄いけれど、その間の車の交通はどうしたのだろう。ひょっとして交通規制をかけて迂回させてしまったのだろうか…。
そのあたりもかなり気になる教会VS政府のニュースであった。
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読売新聞ではリベラ・デル・「デュエロ」と書かれているけれど、スペインワインについて知っている人であれば、これが「リベラ・デル・ドゥエロ」のことだとすぐに気付くだろう。
スペインのワインといえば「リオハ」ブランドのワインが有名だが、それと並んでカスティージャ・イ・レオン地方のバリャドリーからソリアにかけて流れているドゥエロ川近郊で作られる「リベラ・デル・ドゥエロ」ブランドのワインも有名である。
バリャドリーに住んでいた頃、近くのバルで学校帰りにワインを頼む時に一度「リオハを一杯」と頼んだら、「オマエさん、ここをどこだと思ってるんだ。もう一度頼みなおしてみな」とニヤニヤ笑いながら言われてリベラ・デル・ドゥエロのワインを頼みなおさせられたこともある。まあ、つまりはそれくらいあの辺の人達は自分達の地方のワインに自信を持っているということなのだけれど、その周辺を走る高速道路に側壁を作り、尚且つ現在2車線の道路を4車線に拡大する工事が予定されていたらしい。
側壁を作るのはともかくとして、2車線を4車線にする工事となればけっこうな規模の工事になるだろうし、何よりも工事の期間が問題だ。
何しろ、僕が住んでいた時には家の近所のたった150m程度のガードレールを作るのに丸々1年間もかけるような国である。いくら業者や公共機関が「半年で終わる」と力説したとしても、絶対に半年でそんな大掛かりな工事が終わるはずが無い。
ということもあって、ワイン生産者を始めとする近隣の住民が抗議した結果、結局工事自体が棚上げになったということらしい。まあ、さもありなん、という感じ。
カスティージャ・イ・レオンは農業が盛んだから、こういうワインの生産者だとか牧場主みたいな人達を敵に回すと恐らくこの地方では何もできなくなるだろう。そういう意味では今回の工事棚上げは賢明な判断と言えるかもしれない。
工事といえば、現在進行中のAVE(Alta Velocidad Española)計画ではマドリーとバリャドリーを繋ぐ路線も計画されているのだけれど、バルセローナでは地下トンネルの計画自体がサグラダ・ファミリアの強度に重大な問題を引き起こすのではないかと疑惑が起こったり、工事のせいで大停電が起こったりと踏んだり蹴ったりな状況だったりもする。
もともとバリャドリー-マドリー間は現在でも高速バスの定期便で2時間〜2時間半。RENFE(スペイン国鉄)を使って約3時間(遅れることを前提に)なのだけれど、それが約60分に短縮されるということが発表されている。距離的には大体300キロ前後あったはずだから、その距離を1時間で往来できるとなれば便利は便利で違いないだろう。
昔はマドリーの治安の悪さに嫌気がさしてバリャドリーに引っ越してしまったような人もいたらしいから、ひょっとするとAVEが完成してしばらくたったら、バリャドリーからAVE通勤でマドリーに働きに行く人も出てくるかもしれない。現実にサラマンカから100キロくらい離れているサモーラという小さな街から毎朝5時のバスで大学に通っている学生だっているのだから、AVEでマドリーまで働きに行く人が出てきても不思議は無い…はずだけれど、そこまでして働きたいと思う人がスペインに、というよりバリャドリーにいるかどうかがまず問題になるかもしれない。
話がワインに戻るけれど、相当のワイン好きでもない限りは、ワイン=フランスみたいなイメージを持っている人も多いだろうけれど、実は世界最大のワイン栽培面積を要しているのはスペインである。ワインの種類もフランスワインに負けず劣らずたくさんあるし、味も負けていないどころかフランスワインよりは美味いという人がかなりいる。ボルドー出身のフランス人がクラスメイトでいたけれど、彼がスペインでワインを飲んで大ファンになり、「うちの近所で作っているボルドーワインより断然美味い」と大喜びしていたのだから間違いないだろう。
ベガ・シシリアみたいなバカ高いワインなどは機会があれば、という話になってしまうけれど、マルケス・デ・リスカールみたく3000円くらいで日本でも買えるワインが相当美味しく飲めるので、もし酒屋で見つけたらご賞味あれ。
ただし、あんまりハマりすぎてマニアックになりすぎると、僕のようにリベイロやアルバリーニョを探してさ迷うハメになるので、注意が必要かもしれないけれど。
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■[スペイン]2007年のクリスマス宝くじは、1等はほとんどアストゥリアスに
宝くじと言えば、日本でもLOTO6やスクラッチ、ミニロトや各種ジャンボ宝くじなどたくさんの種類があるけれど、それはご多聞にもれずスペインでも同様。
LOTERIA ロテリーア |
日本にもあるようなごく普通の宝くじで、5桁の数字を当てるものです。 1等は日本のように組み番号など無く、毎週木曜日の宝クジは3Euroが15,000Euro、また、土曜日には6Euroで30,000当る2種類あります。 5個の丸い籠の中にそれぞれ0から9までの数字が書かれたゴムボールが廻っており、籠が突然止まり、同時に5個のボールを取り出し読み上げる。 特徴は同じ番号の宝くじが100枚以上あり、1枚の事をデシモ(DECIMO)、10枚をビジェテ(BILLETE)、100枚以上、全部を(COMPLETO)と言います。 一等の当たりのうちの1枚だけ特等があり、木曜日は150万Euro、土曜日は300万Euroとなり、100枚買っていて、その番号が1等に当たると、特等の分を加えて合計900万Euroになります。 |
LOTERIA DE NAVIDAD ロテリーア デ ナビダー |
クリスマスの宝くじ。 毎年12月22日に行われる恒例の大イベントで、システムは上記と殆ど同じですが、番号が66000番までしかなく、1枚20Euroで1等は20万Euroになります。 同じ番号の宝くじが全部で1800枚有ります。 1つの番号を買い占めると、360万Euroで、もし当たると3億6千万Euro(大体432億円)になります。 夏頃から売り出されます。 |
LOTERIA PRIMITIVA ロテリア プリミティーバ |
1から49までの数字の6個を当てる宝くじで、アトランダムに例えば2-12-15-32-42-48と言うような数字を所定の用紙の数字の上にX印でマークし、宝くじ屋さんでコンピューターで読み取らせます。 1つの組み合わせに付き1-Euro支払います。 何組作っても構いません、なんせ全部で1398万の組み合わせが出来ます。 これも木曜日、土曜日と有り、その日に賭けられた合計金額に対する割合で賞金の額が変わるのですが、通常2百万Euro程度にはなります。 しかし、もしその週に当選者がいない場合、その賞金は持ち越されます。 時々その持ち越された賞金が数百万Euro以上になり、その週は掛け金も多くなるため、最終的に1千万Euro程度までになる事も有ります。 今までの賞金額の最高は2000万Euro(約21億円)でした。 |
QUINIELA キニエラ |
サッカーの指定された15試合の勝、敗、引き分けを当てるクジで、全て当たると通常1億程度の賞金です。 1X2で表示され、1がホームベース、2はビジター、Xは引き分けで、用紙に記入してコンピューターで読み取らせます。 1つの組み合わせが0.3Euroで最低2個からです。 これも当たった人がいない場合持ち越され、120万Euroに成る事もります。 収益はスポーツ振興に使われる。 |
ONCE オンセ |
スペイン盲人協会の宝くじで、ONCEはその頭文字。 何処の街でも繁華街の街頭で売られています。 5桁の数字です。 毎日夜9時にテレビ中継され、当選番号が発表される。 最近では盲人だけでなく、その他の障害者にも開放されています。 収益は障害者の教育、その他に使われます。 最近やたらと種類が増えたので、順に説明します。 |
日本だと宝くじ売り場は専用の売り場が設定されていて、一目見て宝くじ売り場だとわかるような造りになっているけれど、スペインだと宝くじも街中の「キオスコ」と呼ばれる売店で売られている。キオスコは要するに日本で言うキヨスク兼コンビニみたいなもので、JRの駅にあるキヨスクが街中にあるようなものだと思ってもらえばいい。
コンビニというものがほとんど無いスペインでは、日常のちょっとしたもの、例えば新聞やアメ、スナック菓子やタバコ、バスの回数券などは全部このキオスコで買うことになる。タバコに関しては販売しているキオスコとそうでないところがあるが、キオスコのほかに「ESTANCO=エスタンコ」や「TABACO=タバコ」というタバコ専売の売店ではタバコは確実に売っている。そして、なぜか不思議なことに切手やはがきも郵便局以外ではこのエスタンコとタバコでしか買えないことが多い。
ちなみに、日本のファミリーマートやローソンみたいな全国チェーンのコンビにというものはないものの、街によっては「Tienda24=24ショップ」と書いてある単体で経営されている24時間の店もあったりするので、この辺は街ごとに探せば意外と便利な店があったりする。
マドリーにはサンティアゴ・ベルナベウから目抜き通りのパセオ・デ・ラ・カステジャーナをチャマルティン駅方向に北上したところにセブン・イレブンが1軒あるのを見たことがあるけれど、他の街にはあったのだろうか。ちょっと気になるところだ。
宝くじの話に戻ると、上の表にあるロテリーア、ロテリーア・プリミティーバ、ロテリーア・デ・ナビダー、キニエラはキオスコで買うが、「ONCE」に関しては独自の販売方法をとっている。
ONCE=オンセはそのなの通り、「Organisación Nacional de Ciegos Españoles=スペイン盲人協会」の頭文字をとったもので、くじ自体もONCEが運営・販売を執り行っている。街中には緑色でONCEと書かれたスタンドが立っていたり、盲導犬を連れた人や杖をついている人が街中を練り歩いて独特の掛け声と共に売り歩いている。盲導犬はどこの国でも供給数が限られているらしく、盲導犬を連れた人よりは杖をついて歩きながら売っている人のほうが多く見るような気はする。
タイトルリンクを張ったKLE4cさんの日記では、結局今年もカスティージャ・イ・レオンでは1等が出なかったということが書かれているけれど、確かに僕が住んでいた時にもカスティージャ・イ・レオンで大当たりが出たというのは聞いた記憶が無い。
僕がサラマンカで通っていた学校の1階にはマノーロというオヤジがやっているバルがあって、休み時間や昼休みに家に帰る前にはマノーロのバルに寄っておやつを食べたりコーヒーを飲んだりしていたのだけれど、そのマノーロのバルには毎日ONCEの販売員の爺さんがやってきて、マノーロも毎日クーポンを買っていた。
ある日、皆で毎日クーポンを買っているマノーロにこう聞いてみたことがある。お金にあまり余裕の無い留学生同士の会話からだから、お決まりの如く「もし皆でONCEを買って、1等が出ればすごいことになるんじゃないだろうか」というバカな発想で聞いてみたのだ。
「なあ、マノーロ。毎日ONCEを買ってるけど、どれくらいの確率で当たるもんなの?」
と。
すると、マノーロは高らかに笑って僕達に真面目くさりながらこう答えてくれた。
「そうさなあ…。俺がここにバルを出して20年近くになるが、20年間毎日買っていても、一度も当たらないくらいの確率なのは確かだな」
と。まあ、そんなもんだったのだろうけれど…。
ただ、カスティージャ・イ・レオンのお隣、マドリーのあるコムニダー・デ・マドリーでは僕が住んでいた時だけで2回ほど1等が出ていた。
1回はキニエラ。「Pleno al 15(プレノ・アル・キンセ)=完璧な15個目」と呼ばれる15個を完璧に当てた最高の1等賞で200億円近い金額を当てたアトレティコファンの二人組みがいたし、ロテリーア・プリミティーバの1等で同じく300億円くらいを当てた個人もいた。彼は翌日に会社を辞め、1週間後に世界一周旅行に家族で出かけていた。
一番高額の当選金が出るのは「EL GORDO=エル・ゴルド」というクリスマス宝くじで、冒頭のリンクにも紹介されている通り、友人、親戚、村単位で同じくじを買って、もし当たれば全員億万長者になるという素晴らしいくじだ。ものすごい金額なので毎年飛ぶように売れるのだが、ユーロになって物価も上がっているからペセタの頃みたいには売れていないのかもしれない。
僕も毎週キニエラをやっていたが、10個までは当てたことがあるけれど、それ以上は無理だった。確か3個ハズレまではOKで、14個当てた場合は毎週ランダムで選ばれる15個目まで当てないと1等として承認されない。14個でも賞金は出るのだけれど。つまり、10個当たっていたということはあと1個当たっていればそこそこの賞金が取れていたはずなのだけれど、残念ながらそう上手くはいかなかった。
なぜかと言えば、アウェーのアラベス戦でセルタの勝利にマークしてしまったからだったのは言うまでもない。
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「スペインは首絞め強盗があるんでしょ?危ないよね」
とか、
「スペインてテロが多いんでしょ?危ないよね」
などと言われるようになって久しいわけだが、またネタ提供元となるニュースが届いた。といっても、これは定期的に外務省や在スペイン日本大使館がアップする現地情報でしかないので、別に際立ってマズいことが起きたというわけでもない。
リンク先を見てもらえればわかると思うけれど、圧倒的にマドリーとバルセローナが多い。たいていの場合はこの二つの都市がスペインの玄関口になるし、ここを拠点にスペインを旅行する観光客がほとんどだろう。日系企業もマドリーとバルセローナに集中しているし、日本人の在住者も多い上に在スペイン日本人会もあるくらいだから日本人コミュニティーもある。
マドリーのセントロ、所謂繁華街では白昼堂々と首絞め強盗が行われるという話が有名だが、何も劇場や商店が立ち並ぶグランビアの目抜き通りで起こるわけではない。まあ、何度かそういうケースもあったらしいけれど。
10月13日(土)
首絞め強盗
午後7時頃、男性観光客が地下鉄デリシアス駅付近を通行中、突然背後から首を絞められ、気を失っている内に、パスポート、財布、現金、クレジットカード等の入った鞄を奪われた。
これは微妙。デリシアスが特段危険というわけではないと思うけれど、マドリーのメトロは中心街以外だと駅周辺は入り組んだ道も多く、地元の人もあまり歩いていないような裏通りもちょこちょこ見受けられる。ちょっとした冒険心で行ってみるととんでもない目に会うのだけれど、この被害者の方はどういう状況だったのだろうか。
ちなみに、僕が住んでいた頃にマドリーで近づくなと言われていたところはオペラ、ラバピエエス、ラ・ラティーナの三角地帯。ちょうどその頃(2000年〜2001年)にかけて、モロッコ、韓国、中国、スペインと4カ国系マフィア・ギャング組織の抗争、要するに縄張り争いがこの三角地帯で展開されていたらしく、発砲事件も日常茶飯事だと聞いたことがある。このマドリー地下鉄マップを見てもらえればわかるけれど、3駅とも有名なプエルタ・デル・ソル=駅というとソルの目と鼻の先。中心からほんの少しだけ離れただけのところである。繁華街に近いからと言って安全とは限らないのは何もスペインに限った話ではない。
10月17日(水)
首絞め
午後2時頃、男性旅行者2名がマジョール広場付近のレストランにて食事後、ソフィア美術館に向かいマグダレナ通りを歩いていたところ、突然背後から首を絞められ、2人とも気を失っている内に、パスポート、財布、現金、クレジットカード等の入った鞄、腕時計等を奪われた。
これはもう運が悪いとしか言いようがない。レイナ・ソフィア(=ソフィア美術館)のすぐ近くにはアンダルシア方面へ向かうAVEの発着駅でもあるアトーチャ駅があるけれど、あのあたりもマドリーの街の中では南に位置しており、周辺はそんなに人でごった返しているという感じでもない。一つ指摘するとすれば平日水曜日の午後2時という時間がまずかったのかもしれない。
マドリーはいわずと知れたスペインの首都。地方の街とは違って、昼食も外で済ます人がそれなりにいるとはいえ、そこはスペイン。平日の午後2時といえば一般家庭の昼食時であり、近所で働いている人ならその時間は自宅に帰っていて外にはいない時間帯である。
恐らくレイナ・ソフィア周辺もあまり人がいなかったはずだから、その辺をウロウロしているのはレイナ・ソフィア目当ての観光客以外は考えにくい。ということで、この被害者の方達は目をつけられたのだろう。
10月25日(木)
強姦未遂
午後11時頃、当地に在住の邦人女性が地下鉄ビルバオ駅付近にあるバルの女子トイレに入ったところ、見知らぬ男に背後から強く押され、トイレの個室に連れ込まれ、服を脱がされそうになったが、男を説得し無事解放された。
これは在住者だから助かったとしか言えないだろう。ビルバオは1号線と4号線が重なる乗り換え駅で、普通の住宅街。その地区のバルでこんなことが起こるというのは衝撃的だけれど、時間を考えればこれも微妙と言えば微妙かもしれない。
平日でも23時半や24時に待ち合わせて遊びに行く習慣があるスペインでは、22時〜23時がちょうど一般家庭の夕食時にあたり、この時間帯もエア・ポケット状態になったりする。レアル・マドリーは前日24日にベルナベウでオリンピアコスと対戦しているから、すぐ近所のベルナベウに人が集まって周りに誰もいなくなったわけではないのだろうけれど、それにしたってバルのトイレで強姦未遂ってのがおかしな話だ。行きつけのバルならオヤジが助けてくれるだろうし、あのあたりに店員の目の届かないようなでかいバルがあるんだろうか。
これが全てではなく、あくまでもリンク先に紹介されているものは日本大使館に連絡があったものに過ぎない。小さなものまで含めたらもっとたくさんの事件があるのだろうけれど、被害に逢っている時間帯に注目して欲しい。午後2時とか、午後21時、午後23時といった昼食・夕食など、スペイン人の一般生活ではあまり外にいないはずの時間帯で被害が目立っている。
「郷に入らば郷に従え」「ローマではローマ人のように振舞え」という諺が日本にも外国にもあるように、現地の生活に溶け込み、リズムを合わせてしまうのがこういった被害に逢わない最大のコツかもしれない。
偉そうにのたまっているけれど、じゃあ僕がその通り気をつけて全く危ない目に逢わなかったのかと言えば決してそんなことはなく、スリや強盗未遂にあったことは数回あるし、まさにこの午後2時とか3時とかの時間帯に僕もやられたことがある。
ただ、これらのような犯罪はスペインでしか起こりえない特殊なものかと言うと、絶対にそんなことはない。
だって、よく思い出して欲しい。公衆の面前で女性を脅して電車のトイレで強姦したりするクソ野朗や、「社会への復讐だ」とか言って繁華街で包丁を振り回す殺人鬼が突然現れたりする国に僕達は住んでいるじゃないか。
「スペインが危ない」んじゃなくて、「外では何が起こるかわからない」と思えないこと自体が一番危ない。言葉もわからず旅行するのが悪いなんて全く思わないけれど、わからないから不安になるんだし、不安になるなら不安を解消するための方法論くらい事前に調べておくくらいできるだろうに。いや、今回紹介したような被害にあった方々が悪いと言っているんじゃない。何も考えないでこういう話を聞いて、「スペインて危ないね」などとしたり顔で言う連中に一言言いたいだけだ。だって、被害にあった人達は好奇心や冒険心と同じくらいの不安を抱えてそれでも現地に行ったんだから、そこで被害にあうのはある意味仕方がないし運が悪かったとしか言えない。だから、願わくば彼らがスペインを嫌いにならずにいてくれればいいなと思う。
僕の友人がマドリーで首絞め強盗にあい、気がついたときに抱きかかえてくれた人達や、僕が強盗にあったときに一緒に撃退してくれたモヒカンのアンちゃんみたいな人だってスペインにはたくさんいるのだから。
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■スペインのクリスマス
スペインの国営放送、日本のNHKにあたるTVE(Television Espanola)がスペイン人の海外在住者向けに放送しているTVE Canal24というチャンネルがあり、インターネット環境の進歩と共にP2Pで日本でも特に何も料金を払うことなくTVEのウェブサイトから視聴できるようになっている。
休みの日に暇になるとだいたいこのニュースを見ているのだけれど、生活情報などを伝えるニュースは時期柄、クリスマスの話題が多くなっている。
スペインの(というよりカトリックの国のクリスマスはだいたい似たようなものだろうとは思うけれど)クリスマス期間は長く、一般的に12月25日?1月6日まで。日本で年末年始休暇にあたる休みの期間も概ねこの期間が当てられることになる。
1月6日というのは、知らない人にとっては違和感のあるものかもしれないけれど、これはイエス・キリストの誕生にまつわる話に関わってくる。日本でも12月24日がキリスト生誕の前夜。25日がキリストの生誕日であることは広く知られているどころか、もはや一般常識と化しているけれど、カトリックの世界ではクリスマスはそれだけで完結するものではないらしい。
スペインにおける12月25日は「イエス降誕の日」。そして1月6日は「イエス公現の日」として位置づけられており、民主化されてアメリカの文化が輸入されたり商業が近代化される以前はクリスマスの重要性は1月6日により重きを置かれていて、子供達がクリスマスプレゼントを受け取る日もこの1月6日だった。
1月6日の「イエス公現の日」は諸説諸々あるようだけれど、一般的に公的な話として通じているのは新約聖書に登場する東方三賢者がイエスに3つの贈り物を届けたとされている日とされている。この東方三賢者のことをスペイン語では「Los Reyes Magos(ロス・レジェス・マゴス)」と呼ぶ。彼らはそれぞれメルキオール、バルタザール、カスパールと呼ばれており、乳香、没薬、黄金をイエスに贈ったという伝説が残っている。
だから、スペインでは子供達を自分にとってのイエスとして位置付け、伝説通りに三賢者がイエスに贈り物をしたような気持ちで子供達に対して1月6日に贈り物をするのだろう。
■クリスマス期間の悲劇
上記のようにクリスマスの期間も長く、そもそもこういった本来の意味である「宗教上の祝日」にあたる期間には、スペイン人の多くはあまり外出をしない。昔と違って豊かになってきた現在ではバカンスにして外国に行ったりする人々もかなり増えてはいるのだけれど、一般的にはこの期間は家族と共に過ごす期間として認識されている。
だから買い物などは12月20日前後までにまとめて済ませておき、期間中はあまり外出して買い物に出たりということがないように母親達は予定を立てる。そうなると当然クリスマスの特需が起こり、物価も上昇することが多い。
僕がスペインに住んでいた時にはまだペセタの時代だったし、物価も今ほど高くは無かったので、物価が上がるといっても数十ペセタ程度の値上がりだった。数十ペセタといえば当時のレートで10ペセタが約7円?8円だったので想像も付きやすいだろう。まとめ買いをする時にはそこそこ高くは感じるだろうが、仕方が無いと諦めもつきそうな値段ではあった。
ところが、昨日TVEのニュースを見ていると、食品の値上がりがとんでもないことになっている。主に牛乳、卵、牛肉、魚といったスペイン人の食卓に欠かせない食材が、年始に比べて概ね20%以上値上がりしているというのである。例えば牛肉を10ユーロで買えていたものが12ユーロになっているということになる。1ユーロがだいたい155円だとすれば、2ユーロの値上げとなると300円以上の値上げ。ペセタで計算すると500ペセタ以上値上がりしていることになるため、スペイン人としては目が回りそうな感じになっているだろう。
ちなみに、スペインやイタリアに旅行をするならこのクリスマス期間は避けたほうが身のためだ。
僕は12月22日から25日までをローマで過ごしたことがあるけれど、この3日間ほど悲惨だったことは無い。特に24日から25日にかけては最悪で、24日にヴァチカンを散策してからローマ中心部へ地下鉄で戻ろうとしたところ地下鉄がすでに昼間の13時頃の段階でストップ。バスも走っておらずタクシーすら休業。すでに周りにもイタリア人は誰もおらず、バールもリストランテも全て閉まっている始末。たまたま見つけた警察官に、「今日は何かストライキでもあるのか」と尋ねると、彼は胸を張って僕をバカにした。「キミは一体何を言っている?今日が何日だと思ってるんだ?24日だぞ。明日は25日だ。つまりクリスマスだ。こんな日に誰が働くっていうんだ?」
おかげで僕はヴァチカンから遥々歩いてローマのテルミニ駅近くにとってあった宿まで歩いて帰ることになり、夜も唯一開いていたマクドナルドで夕食を食べることになり、宿に帰ると宿のオヤジが気を利かせて差し入れてくれた一欠けらのクリスマスケーキの切れ端を食べることになった。
憧れや好奇心だけでは生きていけないということはこの時に思い知ることになったのだけれど、今となっては笑い話である。
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■ある青年の死
ものすごく端的に、この映画が何を描いたのかと問われたら冒頭のような言葉にでもなるのだろうか。
今日、公開中の「サルバドールの朝」というスペイン映画を見てきた。73年のバルセローナで、独裁体制に反旗を翻して反体制活動をしていたサルバドール・プッチ・アンティックという実在の青年を描いた映画で、彼がバルセローナ市内で警察に逮捕される際のもみ合いで銃撃戦となり、彼の撃った銃弾が警官を結果的に殺し、そのために彼は死刑となるという話。
実際には死亡した警察官の体には仲間の警察官が発砲した銃弾も撃ち込まれていて、誰が撃った銃弾が致命傷となったのかは闇の中なのだけれど、それが検証もされずに死刑判決が出されてサルバドール青年が死亡するというところにこの話を深く考えてみるポイントがあるかもしれない。ただ、それは「死刑制度とは」とか、「裁判とは、正義とは」みたいな視点でこの映画を見た場合の話だと僕個人は思ったりする。
スペインは周知の通り、1936年から39年まで行われた内戦の後、1975年11月20日にフランシスコ・フランコが死去するまでフランコ政権による独裁が行われており、その独裁体制下で行われた数々の弾圧によってカタルーニャ、バスクといった文化的にも歴史的にも独自色が強い地方が特に抑圧された歴史を持っている。
映画「サルバドールの朝」で描かれている世界はまさに弾圧下のバルセローナであり、カタラン(カタルーニャ人の男性)である主人公サルバドールもカタランとして独裁体制に反旗を翻したのだろうけれど、映画では彼の民族的主張までは描かれていない。恐らく描き切ろうと思ったら2時間などではとても足りなかっただろうし、個人的に見た感想としては民族的な主張を描こうとした意図はなかったのだろうとも思う。
監督のマヌエル・ウエルガ自身もバルセローナ出身であり、主人公サルバドールが逮捕された1973年にはウエルガ本人も17歳だったというからこの事件をリアルタイムで体験しているらしい。前述したサルバドールの殺人容疑に関してもきちんとした審理が行われないままの死刑執行に対して直前になっても恩赦の嘆願や抗議が続いたそうだが、その流れを17歳で見聞きしているのであれば、どこかしらにカタルーニャ民族主義を織り交ぜるという手法もあったはずだろう。
それをしなかったのは、ただ単にこの映画をスペイン中央政府に対する当て付け的なものにせず、「一人の青年が何を思い、どう生きたか」というところを訴えたかったのかもしれない。そして、その時代が独裁体制下のスペインだった、というところを伝えたかったのだろう。
主題は恐らくそのようなものだったのかもしれないけれど、この映画は細かいところでも見るべきところがけっこうあってスペイン全体の歴史を知る入門編としては面白い。同じ民族主義でもETAが登場するシーンは1度しかないので、誤解されがちな「カタルーニャ主義とバスク独立主義は兄弟」みたいな考え方をする人には考えるきっかけを与えるかもしれない。
この映画を見る前にサルバドール・プッチ・アンティックという人物を少し調べてみる中で不思議だったのは、なぜそんなに急に彼に死刑判決が出されたのかというのが気になっていたのだけれど、映画を見て謎が解けた。73年12月、ETAに対して強硬姿勢を取っていた当時のスペイン首相カレーロ・ブランコが日課のミサへ行く途中の道でマンホールに仕掛けられたETAの爆弾によって車ごと吹き飛ばされ死亡する。これは有名な話なのだが、この時使われた爆薬があまりにも大量だったせいで、ブランコの乗った車は高さ20メートルとも言われるほど空中に舞い上がり、横の建物の屋上をも越えて中庭に落下した。
サルバドールに死刑が求刑された直後のこの事件の後、すぐに死刑判決が出され、やがてサルバドールは死刑になるのだが、言ってみれば彼はETAへの見せしめのために死刑にされたという見方もできなくはない。
内戦や独裁体制下のスペインの内情を知ることはなかなか難しいので、大きな流れとしての独裁体制下の話のほかに、こういった細かいサイドストーリー的なものがあると、歴史の機微を知ることができてより理解も深まるので助かるが、事実であるだけに映画のストーリーそのものはやはり重い。
なお、このサルバドール・プッチ・アンティックが近代スペイン史最後の死刑囚で、改正憲法におけるスペイン司法制度の中には「死刑」は存在しない。
何か一つの結論を出すのは非常に難しいテーマでもあるし、簡単に何かを語るべき話ではないとも思うのだけれど、刑務所内で家族との会話中に繰り広げられるカタルーニャ語での会話を看守が「スペイン語で話せ」と恫喝したり、家族に宛てた最後のカタルーニャ語での手紙すらも「法令だ」ということでスペイン語に改めさせようとするシーンなどは、事実だったのだから当たり前ではあるのだけれど、あまりにも当然のこととして描かれていて当時の文化弾圧の激しさを想起させるには十分なものだった。
「こんなことがあった」では終わらない、たった34年前のスペインの姿が、一人の青年の話と共にこの映画では描かれている。
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