FC2ブログ
!!Hala Celta!! edicion Blog
セルタ・デ・ビーゴとリーガ・エスパニョーラ、スペインのことについて書き連ねているブログ。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
    

/ / 人気ブログランキングへ / ブログランキング

↑ ご協力をお願いします ↑

不安と期待と新?戦力。
2003年07月26日 (土) 21:58 | 編集
 モストヴォイが一年間契約を延長。右膝に疑惑を抱えたサヴォ・ミロセヴィッチの獲得。予備選はとりあえずバライードスで戦えるという事実。

 さし当たって新シーズンに向けた目新しい話題と言えばこの程度である。99-00シーズン開幕前、00-01シーズン開幕前、そして昨シーズン開幕前の話題に比べると明らかに見劣りする今夏の動きではあったが、「揃えなければならない」あるいは言い方を変えるなら「揃えておくべき」事柄は本当に「とりあえず形だけ」整ったように見えなくもない。

 右サイドを攻略できるテクニカルなサイドアタッカー、毎年毎年重大な怪我人が出て人手不足に陥るセンターバック、誰も彼も絶対的な安心感を持てないFW達。目を凝らして見てみればまだまだ「チャンピオンズ・リーグを戦おうとしている」セルタに足りないものは多い。というか多すぎる上にこれからも山のように出てくるのであろう。それでも我々セルタファンは「またか」とうんざりしながら顔をしかめつつ、バライードスのピッチ上で髪を振り乱して走り回る愛すべき空色の選手達に届くことのない声援を送るのである。

 モストヴォイが残るのはいい。問題は来シーズン以降、あのポジションをどうするかだ。ミロセヴィッチが来たのはいい。問題は彼が使えなくなった時にカターニャとエドゥーで全ての状況に対応できるのかだ。昨シーズン冬のマーケットでアンヘルを連れてきたのはいい。問題はそれでカルピンがいなくなった右サイドの問題が完全に解決できたのか、そしてコウデをリーベルに突っ返したことは本当に正しい決断だったのか、である。
 あれこれ言っても始まらないし、ゴチャゴチャ喚いていてもスラヴィア・プラハとレオタルの勝者とセルタはチャンピオンズ・リーグ本戦をかけた決戦に臨まなければならない。

 ミロセヴィッチに関しては何事もなければ恐らくそれなりに戦力として機能してくれると思いたい。サラゴサ時代のパフォーマンスを取り戻してくれれば、あるいは取り戻せるような使い方をしてやれば彼はまだまだやれる選手であることは予想できる。本戦に進めればそれなりに巨額の金が入ってくるため、中断期間中の冬のマーケットで新しい選手を連れてくることも可能になるかもしれない。
 どれもこれも「かもしれない」という曖昧かつ希望的観測にしか過ぎない言い方しかできないのが歯がゆいが、まあよかろう。オラシオ・ゴメスにネドベドを連れて来いと言っても不可能だし、アルフレード・ロドリゲスに頼むからトレゼゲを獲ってきてくれと土下座しても無理なものは無理であるのだから。

 しかし、期待は、ある。「セルタはチャンピオンズ・リーグでもそれなりにやれるはずだ」と四年前のあの日から思い続けてきたことが本当に試せる一年間になるのだから。もっとも、それは一ヶ月間だけの夢になる可能性もある。それでも、我々としては期待せざるを得ない。80年間。80年間かけてたどり着いたこの舞台に、期待しないファンなどいるものか。アトレティック・ビルバオが100年かけてたどり着き、勇気ある戦いをした同じ舞台に、我々は80年目でたどり着いたのである。

 負けるかもしれない。しかし東欧や旧ユーゴのクラブには何度も勝っている。レッド・スターを5-3で粉砕したあの時のように、カターニャとジョヴァネーラが何とかしてくれるかもしれない。しかし、スロバン・リベレツにあっさり敗れた時のように、また呆気なく敗退するかもしれない・・・。掃いては沸き起こる期待と不安。キックオフのホイッスルがパソコンのスピーカーから聞こえてきても、翌日のFARO DE VIGOに「El Celta ya está en la Champions」という見出しを見るまでは安心できはしない。

 ただ、嬉しいのだ。「またUEFAか」と思い続けた四年間から開放され、果てしない不安に苛まれつつも、それでもこの5年間欧州カップの舞台を逃すことなく順位表の上半分に鎮座ましましていたセルタが、星のボールのエンブレム・ロゴを袖口につけて戦えるかもしれないという期待を持ちながら結果を待てるのが。

 ただ、願うしかない。勝ってくれることを。遠く離れた海の向こうで行われる試合の結果が望み通りになることを。
 そして負けても願うのだ。「これにめげずに上を目指せる誇り高いクラブたろうとする」ことを。

 オランダで合宿に入ったチームはこれからクラブ史上最大の挑戦を始める。

 彼らの前途に光があらんことを。
スポンサーサイト
    

/ / 人気ブログランキングへ / ブログランキング

↑ ご協力をお願いします ↑

3年遅れの正しい選択。
2003年07月16日 (水) 21:57 | 編集
 毎日のようにビーゴの地元紙FARO DE VIGOを読んでいる。無論、セルタのニュースを知るためである。いろいろと忙しいので一語一句訳しながら読むわけでもなく流し読み程度なのだが、それでも移籍に関する話は欠かさずチェックせざるを得ない。

 2002-2003シーズン終了直後から、当然のように沸き起こる来シーズンに向けた補強の話題には、必ず「El Celta necesita un delantero centro puro(セルタは純粋なセンターフォワードを必要としている)」というセンテンスが含まれている。ごもっともである。ごもっともであるが、もう見飽きた、という気もする。

 何しろ4年も前から同じセリフを、ファン達は叫んでいるからである。98-99シーズンのセルタにはブルガリアのリュボスラフ・ペネフがいた。多少盛りは過ぎたとは言っても94年のワールドカップに彼が出ていたらブルガリアはもっと上まで行ったかもしれないとも言われた男である。それはそれは頼れるFWであった。大柄ながら足元の技術にも優れ、がっしりと前線でボールをキープし、サイドからのクロスに豪快に飛び込みヘディングでゴールを決める。足元深くに来たやや難しいボールもバランスのいい身のこなしで確実にミートして何とか枠に飛ばす。

 そのシーズン終了後突然ブルガリアの古巣クラブの会長に就任する、と言い残して引退した後、当時の監督だったビクトル・フェルナンデスが何度もフアン・エドゥアルド・エスナイデルを獲得しようと躍起になったことから見ても、当時のセルタにとってペネフがどれほど重要な意味を持つFWだったのかということが窺い知れる。その後マッカーシーやカビエデス、トゥルドやパンテリッチなどを次々と獲得したが、その誰もペネフの穴を埋め、ファンに幸福と満足を与える結果は残せなかった。そもそもパンテリッチなどは獲得後すぐにレンタルに出され、一度もベンチに入らず契約を解除されている始末である。ペネフがいなくなった後、セルタが獲得したFWはポストプレーもヘディングもそこそこ上手く、加えてスピードがありいわゆる「点であわせる」ことができるタイプのFWが多かったように思える。実際問題として「強く、大きく、足元の技術がしっかりしている」FWというのは世界中探して歩いてもそう簡単に見つかるものではない。それがわかっていたからこそのベニーであり、トゥルドであり、カビエデスだったのであろう。前線にターゲットを作り、そこでキープしてからサイドに開いた中盤の選手がもう一度折り返して二重、三重に攻撃を仕掛ける。前線に放り込むと見せかけて中央に戻し、そこから突破を仕掛けるという98-99シーズンのサッカーは、今から思い返すとわずか一年で終りを告げていたことになる。

 その後のセルタの戦い振りはファンなら喉に骨が引っかかっているようなやるせなさと共に思い返されるわけだが、「ペネフの代わり」がいないなら別のパターンを、という意味でグスタボ・ロペスを獲得したクラブの意図は、それなりに結果を出してはいた。レビーボを中央でも使えるようになった結果、モストヴォイが不在の時でも辛うじてチームは攻撃の形を失わずにいられたし、事実UEFAカップでもユヴェントス相手に見ている誰もが度肝を抜かすような結果も残してみせた。

 が、「ユーヴェに勝ったのだから」と期待を込めて見つめられる中、あっさりとランスに敗退。ホームでの第1戦ではどうしても「ペネフさえいれば…」と思わざるを得ないようなベニーのプレーに落胆し、滞在中にラジオで聞いたアウェーの第2戦はモストヴォイの控えがいれば…と層の薄さを嘆いた。

 中盤の駒。最終ラインの面子。ある程度計算できる安定したGK(デュトゥルエルはこの際数に入れざるを得ないが)。「十分」とは言えないまでも、「そこそこ」と思えるくらいにはピッチ4分の3まではメンバーを揃えていたセルタに、唯一欠けていたのが残りのピッチ4分の1で期待感を持たせてくれる「危険な」FWだった。ベニー、トゥルド、カビエデス。3人ともそれぞれ素晴らしいところがあり、掃いて捨てられるような選手ではない。しかし、如何せん彼らは「軽すぎた」。その軽さが誰しもを恐れさせる武器になっているならまだ良かった。が、残念なことに彼らはそうではなく、中途半端に軽く、中途半端に早く、中途半端にゴールを決めた。「ここで2秒キープして欲しい」ところで彼らは倒され、ボールを奪われ、前がかりになってオーバーラップを仕掛けたサイドの選手達は裏を取られて失点した。そうなる度に彼らは前を向こうとし、ドリブルで突っかけ、中途半端にボールを失い、チームはバランスを崩していった。

 その状況を打開するために、当時の攻撃の意図とパターンを充実させる切り札のような存在としてやってきたのがカターニャだった。2部Aのマラガを昇格させ、1部に昇格した後も「危険な存在」としてゴールを決め続けたカターニャは、セルタ移籍後も毎年10点前後は得点し、前線の不安は解消されたかに見えた。しかし、実際にはそうでもなかった。カターニャは有能なFWであり、素晴らしい能力を持っている。マラガ時代にコンビを組んだ、ダリオ・シルバのようなパートナーがセルタにもいれば、例えばフアン・サンチェスをその年に放出しなければ、カターニャはもっと力を発揮できていたかもしれない。

 貴重なゴールも決めてくれたカターニャはファンにも愛されたし、彼が出て行くことは明らかに戦力的な痛手である。そして今でもファンは嘆くのである。

 「ペネフのようなFWがいれば…」と。

 ペネフが突如引退した98-99シーズン。スペインにはレアル・ソシエダにダルコ・コヴァチェヴィッチ。サラゴサにはサヴォ・ミロセヴィッチという驚異的なFWが二人いた。

 コヴァチェヴィッチは一度ユヴェントスに移籍し、2001-2002シーズンの冬のマーケットでソシエダに復帰。ミロセヴィッチはパルマに移籍した後、2002-2003シーズン開幕前にレンタルでエスパニョールに移籍した。
 この二人のうちどちらか一人でもいれば…、と恐らくセルタファンの多くが思ったに違いない。それくらい、彼らはセルタが求めるものを持っていた。

 そして今。セルタはサヴォ・ミロセヴィッチを買い取りオプション付きのレンタル移籍で獲得しようとしている「らしい」。今こそ獲って欲しい、と思える選手に実際に接触しているのであればぜひ獲得してもらいたいものだが、「やっとか」という気持ちと半々であるのは否めない。

 実際にエスパニョールの試合を何度も見たわけでもないし、ダイジェスト映像とレアル・マドリーやバルサとの試合で見た程度しかないのだが、明らかにミロセヴィッチはかつてのインパクトを失いつつある。失ってはいない。ユーゴスラヴィア代表(当時)の試合を見た限りではまだ実力に陰りは見えていないものの、サラゴサ時代に相手に対し常に恐怖を与えつづけた彼ではなかった。が、ミロセヴィッチはミロセヴィッチである。3年前に欲しかった人物ではあるが、使い方次第であの時の輝きを取り戻せるかもしれない。ちょうど今シーズンのコヴァチェヴィッチのように…。

 チャンピオンズ・リーグ予備選の試合開始を告げるホイッスルが鳴ったとき、セルタの前線で体を張っている「9番」は誰になるのだろうか。それとも9番は依然として存在せず、24番か19番が、変わらずゴール前で戦うことになるのだろうか。

 カターニャでもエドゥーでもいい。ゴールをあげてくれるなら誰だって構わない。ただ願わくば、いるだけで威圧感を与え、ボールを持つ度に「匂い」を振り撒く選手が欲しい。

 そんな「9番」が、空色のシャツを身に着け、歓喜を沸き起こさん事を。

 3年遅れで手が届きそうな、正しい選択の結果が報われることを、ただただ今は祈るばかりである。
    

/ / 人気ブログランキングへ / ブログランキング

↑ ご協力をお願いします ↑

Que será será:成るようになる
2003年07月05日 (土) 21:54 | 編集
 ミドがマルセイユへ。
 モストヴォイと連絡がつかない。
 ベニーの移籍が暗礁に乗り上げている。
 バライードスの改修が難しいかもしれない。
 新バライードス建設にスポンサーが反対している。

 まあ、先行きの不安なニュースの多いこと多いこと。シーズンを最終成績4位で終え、クラブ史上初めてチャンピオンズ・リーグ出場圏内を獲得したシーズンオフ。常識的に考えたらこんな時期は次のシーズンに備えて戦力補強のニュースを聞けるもの、と考えそうなものだが、面白いことに我らがセルタ・デ・ビーゴに関してはそんなものとは無縁らしい。
 
 主力の移籍の噂がひっきりなしに飛び交い、果てはクラブのシンボル的な選手との契約延長がシケたものであっても、それでも、ファンはファンであり続ける。それが正しいファンのあり方かどうか、などということはどうでもいい。選手個人のファンであるならその選手の移籍先に思いを馳せるものだろうし、クラブ自体のファンであるなら去った人間のことなどその時点で「昔いた人」になってしまう。そんなものだろう。

 スペイン代表監督を務めた経験のあるエスパニョールのハビエル・クレメンテ。「攻撃的でスペクタクルなサッカー」を好むとされているスペインではそれなりに展開するサッカーをゴチャゴチャ言われ続けた彼が1998年ワールドカップ・フランス大会の1次リーグで敗退した時に発したコメントはある意味名言であると言える。

 「Sí,es triste,pero la vida va a seguir.(悲しいとも。だが、人生は続くのだよ)」

 98年といえば個人的な話で言うとスペイン語を勉強し始めた年である。始めたてのスペイン語力であっても簡単にわかるこのフレーズは、単純だが真理に満ちているものだった、と今でも思う。モストヴォイがどこに行ってもセルタはチャンピオンズ・リーグに出る。ミドがマルセイユに行こうが来シーズンはやってくる。ベニーとポルトの移籍交渉がご破算になってもセルタは開幕戦を戦う。バライードスがUEFAの規格を満たさなくても、セルタは新しいユニフォームを身にまとうのだ。つまりは、そういうことなのだろう。

 ビクトル・フェルナンデスが監督だった時代、シーズンが終わる度に起こる「バルサが狙っている」「マドリーの監督になることは明白」という噂をヤキモキしながら見ていたが、次第にそんな噂に心乱されることもなくなっていった。誰が監督になろうと、愛する空色のユニフォームを身にまとってピッチでサッカーを繰り広げているチームの名前は「セルタ・デ・ビーゴ」だからだ。

 例えば。

 ミチェル・サルガードというレアル・マドリーの右サイドバックがいる。彼は98-99シーズンまでセルタでプレーしていた。前シーズン、サラマンカにレンタルで貸し出され、そのシーズンにセルタに戻ってきてスペイン代表としてデビューし、マドリーに移籍していった。ミチェルが移籍したシーズン、一応マドリーの試合を見るときはミチェルのプレーが気になり見ていたが、だんだんどうでもよくなった。なぜなら、「セルタのミチェル・サルガード」は自分が期待を込めて見るべき選手であったが、「レアル・マドリーのミチェル・サルガード」などには何の興味もないことに気づいたからだ。そのもう少し前に「セルタの未来」と言われたイトという中盤の選手がいた。現在ベティスでプレーしているはずなのだが、彼のことももはや何も知らない。

 同じように、あれだけ賞賛され称えられていたビクトル・フェルナンデスの、笑いがこみ上げるくらい哲学的な試合後のコメントも、この一年ほとんど読んでいない。ようするに、そういうことなのである。

 誰が入ってこようが、誰が出て行こうが、誰が監督になってどのチームにいつ負けようが、セルタ・デ・ビーゴはセルタ・デ・ビーゴであり続ける。クラブの名前が消えるまで、バライードスでプレーする空色のチームは「セルタ・デ・ビーゴ」なのである。

 新戦力獲得、既存戦力の維持。消えては出てくる様々な噂を目にしたり耳にするたびにこう思うのである。「成せば成る。が、成るようになる」。これをスペイン語にしてみると、Que será será、となるのだろう。

 どうせシーズンが始まれば、またあの空色のシャツの一挙手一投足に一喜一憂するのは判り切っている。

 だからそういうことなのだ。

 メンバー表の名前が今シーズンと違っていても、クラブの名前は変わらないのだから。
    

/ / 人気ブログランキングへ / ブログランキング

↑ ご協力をお願いします ↑

©!!Hala Celta!!,Shima todos los derechos reservados / Template by 【投資信託のことなら】投信Web /

Powered by .
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。