!!Hala Celta!! edicion Blog
セルタ・デ・ビーゴとリーガ・エスパニョーラ、スペインのことについて書き連ねているブログ。
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El Dia Después
2007年07月31日 (火) 23:45 | 編集

 ■検証は?

 アジアカップもイラクの優勝で幕を閉じ、そこかしこでオシムに対するいちゃもんとも批判とも取れる意見が聞かれるわけだけれど、どれもこれも聞いたり見たりしてもイマイチ腑に落ちないので紹介するのは避けておこうと思う。

 一つ気になるのは、今現在、唯一と言ってもいい民放のサッカー番組であるTBSのスーパーサッカーとテレビ朝日のやべっちFCにおいて、今回のアジアカップにおかえる日本代表の戦い方について詳細に分析した上である程度の検証を行い、代表の進んでいる道やオシムの指揮方法について何らかの見解を述べることがあるだろうかということだ。

 が、恐らくないんだろう。

 スペインの場合、サッカー番組はおろか、通常の昼のニュースが1週間以上同じ話題で終始することが珍しくない。

 ニュース番組というと日本では大抵の場合、夜9:00~10:00あたりに始まるニュースのことを指すが、スペインでは昼2:00~3:00に始まるものを指す事が一般的だ。
 マドリーやバルセローナ、バレンシアのような100万都市以外の街は大体が10万人~40万人程度の中小都市の集まりであるスペインでは、昼食を自宅で取る人も多い。おまけに日本の常識とは違い、一般的に「昼食を食べよう」と思うと開始時間は2:00~3:00になる。逆に、夜は平日でも23時頃に友人と出かけたりすることも多々あるため、家にいないことも多いのだ。
 おのずとニュースのボリュームは昼の番組が多くなり、メインのニュースは昼に知ることになる。当然スポーツコーナーも昼にあり、しかもそれが長い。サッカーのシーズン中は平気で30分くらいやっていることもあるし、そのほとんどがサッカーのネタだ。

 TVE(テレビシオン・エスパニョーラ)やAntena3(アンテナ・トレス)などのニュースでは比較的あっさり終わることが多いのだけれど、それでもスペイン代表関連になるとやたらとボリュームを増やして検証まで行うことが珍しくない。

 ただ、極めつけは有料放送のCanal+(カナル・プルス)が放送していた「El Dia Despúes(エル・ディア・デスプエス)」とTVEの「Estudio Estadio(エストゥディオ・エスタディオ)」である。「El Dia Despúes」は直訳すると「次の日」という意味で、その名の通り、リーグ戦のあった次の月曜日夜8時から1時間で放送していた番組である。有料放送だけあって異常なまでに内容が濃く、「今節のベストプレー」「今節のワーストプレー」「今節の疑惑の判定」「ベストゴール」「監督の試合中の面白いクセ」などなど、よくこれだけネタを集められるものだと呆れるくらいいろいろな企画を1時間ぶっ通しで放送している番組である。

 シドニー・オリンピックが行われた2000年にカメルーン相手にスペイン代表Sub-21が敗北した時には、当時のイニャキ・サエス監督の指導方針やSub-20(U-20)時代のことまで穿り返してあげつらい、同じミスがあった時にはそのミスをしたのがSub-21とSub-20では同じだったかどうかまで検証していた。
 ただ、揚げ足を取っているだけではなく、きちんと方向性として正しければそれは認め、間違っている(と番組が思う)ところは「このようにすべきだ」と言い切り、対案を示すことまでをしっかりとやっていた。
 もちろん、PKだとかオフサイドだとかハンドだとかはインスタントズーム機能を最大限に駆使して10分くらい延々と「ああでもない、こうでもない」とやっているようなこともあったのだけれど。

 翻って日本にそこまでやる番組があるのかどうか。まあ、無いわけだけれど、今後生まれる要素はあるのかどうか。

 新聞や雑誌、それも競技そのものに大して敬意も抱いていないような低俗極まりないゴミ同然の媒体で解任だ何だと言わせておいていいのだろうか。NHKでもどこでもいいから、週1回1時間くらいの枠で徹底的に技術論から戦術論、理想論までを含めた討論番組を作れないものだろうかと思う。そういった番組できちんとした分析と検証が行われて、現状に対してどのような策を講じるのが適切だと思われるのかを示すことを続けていけば、日本のサッカーファンのレベルももっと上がるのではないだろうかと、僕は密かに思っている。

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4231
2007年07月29日 (日) 23:44 | 編集

 ■韓国戦後 オシム監督会見

 あまりこのブログでは触れてこなかったのだけれど、ちょっと珍しく日本代表のことに触れてみようかと思う。

 ご存知の通り、日本は3位決定戦で韓国にPK戦で敗れ、アジアカップでは4位に終わった。ただ、4位だからといってその結果がどうこうという話ではないと僕は思っている。正面切った勝負では負けなかったことはイビツァ・オシム監督のコメントを読むまでも無く明らかだからだ。

 苦戦したという印象のあるオーストラリア戦にしても同点の末にPK戦まで持ち込んで粘り勝ちしたという形だし、サウジアラビア戦ではオシム監督の言うようにただ単純に運が悪かったとしか言いようがない。3点目を喰らったシーンをよく見てみると、確かに阿部も中澤も振り切られかけてシュートを撃たれてはいるけれど、中に切れ込ませるまではさせていないし、シュートコースはしっかりと限定させている。おまけに川口もシュートコースには入っているし、たまたま伸びた両手の間をボールが抜けていってしまっただけだ。人間の体の構造上、あの位置を何かが通り抜けようとして止められる人間はそうはいないだろう。ウソだと思うなら正面から自分の頭の真上を通るような形で誰かにモノを投げてもらえば分かる。

 敢えて戦犯を探すことは今の段階の代表チームにとってさほど意味があることだとは思わない。マスコミはあれこれ言うだろうけれど、正直な印象として今の日本のスポーツジャーナリズム(を名乗る勢力)が、知識や方法論でオシム以上のものを持っているとは思えないから、極端な話、彼らが言うようなことは言い出す前からオシムには織り込み済みなのかもしれないとさえ思えることがある。

 僕が今回のアジアカップを見ていて気になったのは、カタール戦と最後の韓国戦で採用された4-2-3-1フォーメーションだ。

 4-2-3-1はスペインで比較的一般的に使われているシステムで、1部リーグではほぼ全てと言っていいくらい、このシステムでゲームに臨んでいる。バルセローナのシステムはよく4-3-3と紹介されたりはするけれど、役割が4-3-3「的」なだけで、実質の動きとしては4-2-3-1のままだと僕は思っている。

 日本でまともに4-2-3-1を導入して使いこなせているクラブがここまであったかと言うと、正直に言えば「無い」ということになる。辛うじて2003、そして2004シーズンのFC東京がそれに当たるかもしれない。2004シーズンの東京は一応リーグカップ優勝という結果を出しているから、機能したと言えなくも無いが…。

 ただし、うまく使いこなせていないだけで、ハマればこれほど日本に適したシステムは無いのではないかとも思うのは事実だ。その意味で僕が最も印象に残っているのはカタール戦と韓国戦だった。オシムがそのシステムを初戦と最終戦に持ってきたのはそういう意味合いもあったのかもしれないと勝手に想像しているのだけれど、記者会見では誰もそのあたりのことを突っ込んでいないので答えは知る由も無い。

 今回の日本代表でこの4-2-3-1が上手く機能しなかったが故に勝てなかった理由としては、スペイン語で言うところのメディオ・セントロ(センターハーフ)とピボーテ(ボランチ)、そしてトップ下と言うべきメディア・プンタがシステム上の役割を果たしていなかったからだと僕は思う。

 自分が良く知っている4-2-3-1はセルタのものになるので、例に出そう。今回の日本代表に最も近かったフォーメーションとしては以下のようなものになるはずだ。
                         
                     カターニャ

    グスタボ・ロペス       モストヴォイ     カルピン

                リュクサン
                        ジョバネーラ

     フアンフラン      カセレス   ベリッソ    ベラスコ

                     カバジェーロ

 カタール戦、韓国戦の日本代表メンバーをそっくりそのままそれぞれのポジションに当てはめてみて欲しい。カルピンとモストヴォイ、リュクサンのところ意外は概ね似たような能力を持った選手達であることが分かるだろう(多少言い過ぎの感はあるけれど…)。

 分かりにくかったら、モストヴォイを中村俊輔、カルピンを遠藤保仁、リュクサンを中村憲剛だと思ってもらえばいい。
 このフォーメーションでキモになるのはモストヴォイとリュクサンとの関係性だ。誰が見てもセルタの中で最も気をつけるべきなのはモストヴォイで、彼をどう抑えるかがカギになっていた。ただし、当時のビクトル・フェルナンデス監督もその後のミゲル・アンヘル・ロティーナ監督も、モストヴォイのサポート役兼第二ゲームメイカーとしてリュクサンやマケレレ、マジーニョといった選手を置いていた。前線を抑えられるのが分かりきっているのだから保険をかけるのは当たり前とでも言いたげに。

 今回の日本代表で言えば、その保険の役割をするべきなのが中村憲剛だったのだけれど、残念ながらそこまでのことができていたとは言いがたい。セルタの場合はリュクサン、マケレレ、マジーニョはスタイルの違いはあるけれど常に2列目の真下(2.5列目とでも言うのか?)にいて、メディア・プンタの位置にいる選手が苦しくなったり、ボールをキープした時には迷い無く飛び出していってペナルティ・エリアに飛び込むなり、ミドルシュートをさかんに撃っていた。なぜそれができたのかといえば、そのさらに後ろにはジョバネーラのような潰し屋(今回の日本で言えば鈴木啓太)がいて、カウンターのピンチを遅らせるか潰すかのどちらかを的確にこなしていたからだ。その意味で言えば、今回の代表における鈴木啓太はほぼ満点に近いできだったと評価してもいいと僕は思う。そもそも求められている役割がシュートやパスではなかったのだとすれば、延長の終盤でミドルシュートを外したことを責められるのは筋違いというものだろう。

 セルタでのモストヴォイとカルピンにあたる中村俊輔と遠藤保仁に関しては、物足りなかったというほかはないかもしれない。今回の代表のように左サイドにどちらかが偏ることはあっても、そこで攻撃が停滞するようなことは滅多になかった。なぜかといえば、モストヴォイが左に偏った場合、必ず中央から右寄りにカルピンが位置してポジション取りをしていて、二人の間に三角形を作るような形で必ずリュクサン、マケレレ、マジーニョがフォローしていたからだ。

 残念なことに今回の代表でグスタボ・ロペスの役割を求められていた山岸にはそこまでスキルはなかったかもしれないけれど、両中村の距離が離れていて、中村俊輔と遠藤の距離が近すぎる上に左サイドで密集が起こってしまえば山岸がいくら走ろうともボールは出てこない。スペースが無さ過ぎて走っても意味が無いからだ。ただし、そこで左サイドバックが上がってきてフォローするなら話は別だし、さらにその時に右サイドバックか、同サイドのセンターバックがフォローするならもっと別だ。

 ここまで言えばもう十分だろう。つまり、4-2-3-1を十分に機能させようと思ったら選手全員の連動性とチームの動き方に対する共通理解が必要だということだ。そして、それができるのであれば強烈な所謂センターフォワードはいなくても構わない。いればいたでそれに越したことは無いけれど、カターニャのような純粋なセンターフォワードではない選手しかいなくてもセルタはマドリーやバルセローナに勝ったし、UEFAカップでは毎年準々決勝あたりまでは勝ち進んでいた。

 だから、今回の日本代表のやろうとしていたことには全く間違いは無かったと思う。ただ、中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛の動きの質があまり良くなく、動きの量が足りず、どこかで「彼らが何とかしてくれる」という責任の擦り付けがあっただけだと思う。中村俊輔と遠藤が適切な距離感を保ち、そこに対して中村憲剛が何をすべきかしっかりと理解してくれさえすれば、恐らく山岸はもっと活き活きと左サイドを切り裂いただろうし、そこから高原へ入るボールも増えたはずだと思う。もっと言えば加地や駒野がもう少し自己主張してくれれば、あんなに密集したプレーをせずに済んだだろう。

 極端な話、そこを修正して選手に理解させることができる時間があるのであれば、もう一度同じメンバーで試合をやってみる価値はあると思う。と言っても恐らくそれは無いだろう。左サイドか右サイド、もしくはメディオ・セントロの位置にいた中村憲剛あたりが次回は代わる可能性はあると思う。

 ということで、次回の親善試合にどのようなメンバーが選ばれてシステムを何で行こうとするのか、そこが今から楽しみではある。

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驚きのプレシーズン
2007年07月19日 (木) 23:43 | 編集

 ■El Numancia no podrá contar con el japonés Fukuda, vinculado a su club de procedencia

 ヌマンシアは福田健二を戦力として数えられないことになった。MARCAの記事によるとベガルタ仙台が彼の移籍金を40万ドルまで引き上げたからだそうだ。

 ヌマンシアのような小クラブに40万ドルを要求する仙台も凄いが、ヌマンシアのやろうとしていることも相当なものだ。
 ”Como última opción, el Numancia podría intentar recuperar al jugador en diciembre, cuando se abra el mercado de invierno, ya que será entonces cuando Fukuda termine contrato con su club, si así lo estima oportuno el actual entrenador, Gonzalo Arconada”

 「最後のオプションとして、ヌマンシアは冬の移籍市場で彼を再度獲得できる可能性に賭けている。冬の移籍市場が開く頃、福田は彼の所属クラブとの契約が切れるためだ。現監督のゴンサロ・アルコナーダがそうすべきだと判断した場合は、その通りになるだろう。」

 MARCAの記事はこのように結んでいる。

 前々から気にはなっていたのだけれど、ヨーロッパではEUの法律に照らし合わせる形で所謂「ボスマン判決」が出たわけだが、この時の判決理由を思い出してみると、似たようなことを日本で裁判として起こした場合はどうなるのだろう。

 確かボスマンの場合は「EU圏内の労働者の労働の自由を侵害することは元雇用主にはできない」のような判決文があったような気がするのだけれど、よく考えたら仮に「ベガルタ仙台が福田健二を戦力として計算しておらず、国内の所属リーグにおける登録メンバーに加えなかった上、国外クラブへの貸与を行い、当該国外クラブへの移籍(仙台からの退職)を福田が望んだ際にベガルタ仙台が相手先クラブに金銭の保障を要求した」みたいなことだったと仮定するのであれば、これは職業選択の自由を侵害することとして理解されるのだろうか。それとも労働契約書内に記載されている事項として容認されるのだろうか。非常に興味深い。ただし、法律上は退職「届」を提出してしまえば雇用主は最大でも1ヶ月程度しか労働者を拘束できないはずなので、このあたりはどうなるのだろう。

 誰か詳しい人がいれば是非教えてもらいたい。

 ちなみに、福田の移籍を許さないベガルタ仙台が悪いと言っているわけではないので悪しからず。

 ■Divorcio inesperado

 え~…。もう何を聞いても驚かないほうがいいのかもしれない。

 昨日、ある程度メンバーは集合してトレーニングを開始したセルタなのだけれど、どうやらジャーゴは「もうセルタではプレーするつもりはない」と公式に発言したらしく、現場に現れなかった。ジャーゴの代理人もその通りにコメントしたらしいので恐らく彼が空色のシャツを身に纏うことはもうないのだろう。ただ、つい先日契約を更新したばかりなのに、この変化は一体何なのだろうと逆に首を傾げたくなる。

 ストイチコフもストイチコフで、「出て行きたいなら彼らに対しては『ありがとう、さようなら』と言うだけだ」などと言っているし、もう段々わけがわからなくなってきた。

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El inicio del infierno y una despedida.
2007年07月18日 (水) 23:42 | 編集

 ■Un regreso virtual

 他のヨーロッパの国ではどうなのか、それは詳しくは知らないのだけれど、とりあえずスペインでは一般的にサッカー選手の契約は7月1日から翌年の6月30日までが一つのサイクルとして認識されている。

 ということはつまり、今月が新しいシーズンの始まりということになり、チームの始動となるわけだ。

 今日、7月18日にセルタは練習場「ア・マドローア」に契約を結んでいる各選手を集合させ、セグンダとしてのシーズンをスタートさせた。
 召集されたのはコパ・アメリカに出場したチリ代表のコントレーラス、ウルグアイ代表のカノッビオ、U-20ワールドカップに出場したメキシコ代表Sub-20(U-20のスペイン語)のカルロス・ベラの3名を除いた以下のメンバー。

 リチ、ロベルト・ラーゴ、ホナタン・ビラ、第3GKとして登録される可能性のあるセルヒオのカンテラ組、ピント、エステバン、アンヘル、プラセンテ、レキ、ジャーゴ、ジョージ・ルーカス、ロベルト・ソウサ(サラマンカからのレンタル復帰)、オウビーニャ、ヌニェス、ネネ、イリネイ、ホルヘ・ラレーナ、ハビ・ゲレーロ(レクレアティーボからのレンタル復帰)、ヘスス・ペレーラ、そしてフェルナンド・バイアーノ。
 なぜかこの中には、このオフシーズンに唯一移籍してきたペテル・ザネフの名前がない。

 移籍といえばネネにはヘタフェ。オウビーニャにはサラゴサ、バイアーノにはレバンテとヘタフェ、そしてマジョルカからそれぞれ非公式な獲得の打診が来ているものの、現実的にまともな交渉になりそうなのは今のところはネネだけのようだ。アンヘルにも当然移籍の噂があるにはあるが、発展しているという話は今のところ聞こえてこない。

 今日の集合後、軽い調整を行った後に新ユニフォームのお披露目を行い、明日の午前中はメディカルチェック。その後はトレーニング・キャンプを行うメルガソ(恐らくポルトガル)へ向かうことになる。

 新たなシーズンの始まりと言えば聞こえはいいが、セグンダのシーズンであることを考えればさしずめ「地獄の釜の入り口」とでも言うべきか。

 その一方でこんなこともあった。

 ■"Mi corazón siempre será celeste"

 記事のタイトルは「自分の魂は永遠に空色だ」。少なくともそれなりの期間をセルタファンとして過ごしてきた人達なら、こんな台詞を吐くのがどこの誰なのか、そんなことは言わなくてもわかるだろう。

 ウソか本当かわからないけれど、ストイチコフが「自分は彼に対して来シーズンも戦力として考えていると言ったが、彼はもうセルタではプレーしたくないと言った」とコメントしたという情報もあった。

 個人的な意見を言わせてもらうが、彼がセルタ・デ・ビーゴというクラブでプレーした8年間全てを見てきた人間として、そんなことを言うはずがない。ストイチコフがコメントしたとされている上記の言葉も、ひょっとすると誰かが恣意的に作文したものかもしれないわけで、おいそれと信じるわけにもいかない。

 8年間クラブに忠誠を誓い、「人生で最後の試合を、このユニフォームを着て迎えたい」と公言し、ビーゴで生まれた娘にチームカラーの”空色”を意味する「セレステ」という名前を与える程にセルタとビーゴを愛したグスタボ・ロペスの最後の記者会見は拍手で締めくくられた。グスタボ自身が愛したムニシパル・デ・バライードスの記者会見場ではなく、ホテル・ロス・エスクードスというクラブとは全く関係のない場所で。

 「お金の問題だと言う人達が誰なのかを言うつもりはないし、もう一度繰り返すけれどお金の問題でクラブを去るのではない。交渉の進め方が正当なものだったと思えないのは今も変わらないし、それが違った方法であれば結果は必ず違っていたはずだと今でも思っている。…自分の心の中は今でも空色に染まっているし…それが全てだと言いたい」

 チャンピオンズ・リーグに出場した時にも、ホームのガリシア・ダービーで粉砕されたときにも、降格した時でさえ涙を見せなかったグスタボ・ロペスが涙を堪えて会見するのを見て、僕はようやく彼が本当にいなくなるのだと実感した。

 

 不思議なものだとつくづく思うのは、ファン心理というのがいかに捻じ曲がったものかということだ。

 ビーゴではもちろんのこと、遠く離れたこの日本でさえ今回のグスタボ・ロペスの退団を残念に思い、クラブ側の対応に憤りを感じている人達がたくさんいる。そしてグスタボの会見やコメントを見て、もう無理だと分かっていながらそれでもまだ何とかして残ってもらえないかと思っている。
 それでも、どれほどグスタボの退団を残念に思い、クラブに怒りを抱こうとも、セルタが今年一年でプリメーラに戻って欲しいと願っている。会長か、スポーツ・ディレクターか、それとも監督か。今回の騒動の引き金を引いたのが誰なのかは、本当はもうどうでもいいのかもしれない。選手達がそうであるように、クラブの幹部でさえ、セルタ・デ・ビーゴというクラブが存在し続けるための人柱に過ぎないのかもしれない。

 恐らくそうなのだろう。僕達セルタファンはこの4年間でもう既に多くのものを失ってきた。アレクサンドル・モストヴォイやヴァレリー・カルピン、ヘスーリやエドゥー、ベリッソやカセレス、そして今回グスタボ・ロペスを失っても、一月もすれば何事もなかったかのようにシーズンを迎えてクラブの勝ち星を願う日々を過ごしてきたのだから。

 ありがとう、そしてさようならグスタボ・ロペス。僕達はきっと永遠にあなたのことを忘れない。
 Gracias y adiós Gustavo López.No te olvidamos para siempre.

 

 5週間後。地獄の釜の入り口で、アンダルシアの曲者コルドバが戦いの火蓋を切って落とす。

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許されざる行為
2007年07月10日 (火) 23:40 | 編集

 ■なぜ、このタイミングなのか?

 僕はマスコミでもないし、セルタの広報スタッフでもない。ただ、セルタ・デ・ビーゴというクラブが輝いた一時期に偶然その姿を目にし、その姿に見せられた結果としてファンになった個人に過ぎない。

 輝いた一時期はもうだいぶ前に終わりを告げ、その時期が終わった年に、セルタは12年振りにセグンダに降格してその後一年してからまた表舞台に戻ってきた。そして2年が経ち、セルタはまたセグンダに戻ることになった。

 一つの「時代」とも言うべき時期が終わる時、そんな時にはどのクラブにもこういうことが起こるのかもしれない。レアル・マドリーがビセンテ・デル・ボスケやフェルナンド・イエロを叩き出し、バルセローナがロマーリオやロナウド、ジュセップ・グァルディオーラと物別れし、スペイン以外で言えばイタリアのユヴェントスがスキャンダルまみれになったように。

 それでも、である。その中でも許されない行為というのは必ずあり、それがいつか必ずその行為を犯した人間に降りかかる。レアル・マドリーではフロレンティーノ・ペレスがそうだったし、バルセローナではジュセップ・リュイス・ヌニェス、ジョアン・ガスパールがそうだったし、ユヴェントスではそれがルチアーノ・モッジだったのだろう。

 セルタ・デ・ビーゴに当てはめた場合、いつか来る「その時」に対象とされる人物が今日決まったようだ。

 ラモン・マルティネス。カルロス・モウリーニョ会長の下、新たにスポーツ・ディレクターとなった彼は、空前の暴挙をやらかしてくれた。

 グスタボ・ロペスとの契約交渉を破談にしたことではない。そんなものは遅かれ早かれ来るものだったと思えなくもないし、難航することになるのは目に見えていた。
 「では、何が暴挙か」と問われれば、それは今回の一件で犯した一つの決断であると僕は思うわけである。

 契約交渉に失敗し、ファンから非難を受ける中で対象選手の過去数年の契約内容を公開する。

 恐らくは「誰がクラブを仕切っているのか」を内外に対して示す意味で公開することを決断したのだろうけれど、それがどんなことをもたらすと思っていたのだろうか。

 何のためにそんなことをしたのか?

 今日19時からゴール裏スタンドに集まってクラブにグスタボとの契約を再考するよう求めるファンに「無駄だ」と思い知らせるためだろうか?それとも「こんなに金にガメツイ選手を支持するのか」とファンを恫喝するためだろうか?

 いずれにしても、大多数のファンには無駄なことだったに違いない。少なくとも僕は、彼のこれまでの契約内容が法外に高かったとは思えなかったし、昨シーズン結んだ契約内容が彼に対して敬意に満ちたものだったとも思えない。さらに言えば、今回クラブが昨シーズンと全く同じ内容だったことに対して驚きすら感じたし、それでもなお、グスタボ・ロペスこそがセルタに必要な人物だったと確信した。

 120万ユーロの年俸、各種ボーナス(勝利給、欧州カップへの出場給)、住居、車、燃料費、南米への4回分の渡航費。

 これが35万ユーロの年俸、各種ボーナス、住居、車、燃料費、南米への4回分の渡航費、出場試合数に応じたインセンティブに変更され、最終的に昨シーズンのグスタボ・ロペスに支給された給与は60万ユーロだったという。

 約70%の基本給カットを受け入れ、尚且つクラブに残りたいと公言する選手を切り捨て、ファンやマスコミが同情的に彼を支持しているにも関わらずクラブを表立っては非難しなかった選手に対して、契約内容を暴露する必要がどこにあるのかが僕にはさっぱりわからない。

 この文章を読んだ人の中には、「内容を書いた以上オマエも同じ穴のムジナだ」と言う人がいるかもしれない。それならそれでもいい。ただ、僕は言いたいのだ。現地のセルタ系ポータルでアドリアン・オテーロという人が同じ記事を読んで言っていたように。「これを見て、それでもグスタボを切るべきだったと思うのか?」と。

 プリメーラでのものと同じ待遇をグスタボが断った、と見るか。

 クラブが不相応なオファーに終始した、と見るか。

 それとも、これがクラブの現状と諦めるべきだ、と見るか。

 最後にクラブに言いたい。
 わかった。わかりました。グスタボの契約がどんなものだったか、ようやくわかりました。さて、ではバイアーノは?ネネは?ストイチコフは?カノッビオは?遡るならモストヴォイやカルピン、マケレレ、リュクサン、ベラスコ、ヘスーリ、エドゥー、カターニャ、ビクトル・フェルナンデスの契約内容も知りたいのですが。

 仮にできないと言うのであれば、今回の話に何ら一切、合理性を僕は感じない。

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La entrevista de Gustavo Lopez
2007年07月08日 (日) 23:37 | 編集

 ■Gustavo López, ex jugador del Celta: "Me merecía otra negociación"

 数日前のFARO DE VIGOにグスタボ・ロペスのインタビューが掲載されていたので一応翻訳。

 FARO DE VIGO(以下、ファロ):今回起こったことについて、どう考えますか?

 グスタボ・ロペス(以下、グスタボ):特に思うのは、今回のようなやり方ではなく、もっと他に交渉の仕方があったのではないか、ということ。今回の件に関しては他のやり方であれば結果が違っていたはずだという印象を持っているし、自分としてもこんな結末は望んでいなかった。

 ファロ:不当な扱いを受けたと感じますか?

 グスタボ:実は昨年の段階でセルタを出て行こうとしていたのは事実。実際にそれは現実になりかけていたし、全てのことがそれに向かって動いていた。それでも、私はクラブが契約に盛り込んだことを全て受け入れてここに残った。クラブからは疎外されたという気持ちになったけれど、全てのことを受け入れて続けていこうという意思はあった。去年の夏はそういった一連の出来事のせいで酷い気持ちで過ごしたよ。もちろん、今は全てのことが違う形であるべきだったと思うけれど。

 ファロ:あなたがクラブの意向を読み違えていて、ファンの後押しが残留を決定付けるはずだったと考えていたのでは、ということも考えられるわけですが。

 グスタボ:自分が要求したのは「契約内容に制限を付けない」ということだけだったんだ。今シーズンのプレー内容は以前と違っていたし、ピッチの中で自分が何をできるのかということは示すことができたと思っていたから。ただ、それは何の役にも立たなかったわけだけれど。

 ファロ:最終的に、あなたが金銭のことを要求しすぎたのだ、と誰かが考えたり言っていたりした、とは思いますか?

 グスタボ:8年前からビーゴの人達は私のことをよく知っているし、ピッチ内のこと以外でも交渉の席で自分がどういった努力をしてきたのかを理解してくれていると思っている。そういったことからも、今回の件でことさらクラブへの愛情を表現しなければならなかったとは思わないし、誰のことも騙したり誤魔化したりしていないと断言できるから、人々が考えるかもしれないことに不安になったりすることはなかった。

 ファロ:この最後の数ヶ月間の中で、一瞬でもこの交渉がこのような終わりを迎えると想像しましたか?

 グスタボ:常に解決できるはずだと確信していたし、セルタで続けていくことができると思っていた。まさか同じことが繰り返されるとは思わなかったし、こんなに早く通告を受けて、しかもそれがああいった断定的な形で伝えられることになるとは思わなかった。

 ファロ:特に誰かに対して失望したりしたということはありますか?

 グスタボ:個人を特定したりすることはしたくないけれど…。自分が言えるのは、たった2ヶ月しかセルタにいない人間がいて、私は8年間ここで過ごしてきたということと、クラブのために全てを捧げてきたということだけだ。ビーゴの人達は全部わかっているはずだよ。

 ファロ:クラブ側はあなたが2倍の給料を要求したと言っていますが。

 グスタボ:様々なことを言うのは簡単なことだ。今は彼らは「グスタボ・ロペスが2倍の給料を要求した」と言えるけれど、誰も去年の夏に私がセルタで続けたいということを理由に年俸を相当のパーセンテージで減額したことは覚えていない。

 ファロ:ビーゴに戻りたいと思いますか?

 グスタボ:こんなやり方で去りたくはないので、たくさんの人にお別れをしに行かなければならない。当然のことだけれどね。数日の間にはビーゴに行って、自分にたくさんのことを与えてくれた多くの人に「アディオス」と言わなければならないけれど、彼らのことを忘れたりすることは絶対にないよ。

 ファロ:(セルタ残留のための)扉が永遠に閉ざされたという考え方は真実でしょうか?

 グスタボ:自分はそうだと思いたくはない。けれどクラブは全て終わったことだ、と言っている。扉を閉ざしてしまったのは私ではなく、彼らだと思う。私に対して、どこか違うクラブを探すべきだと言っていたし、…恐らくそうせざるを得ないだろうとは思うけれどね。

 ファロ:ビーゴで引退するという夢にも「アディオス」だと…。

 グスタボ:そうだね。それこそ、お別れをしなければならない夢だ。それが真実だと受け入れるのは辛いけれどね。

    

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El ultimo idolo se va.
2007年07月04日 (水) 23:36 | 編集
 ■Adiós a Gustavo López
 ■Gustavo: "Me han roto un sueño"
 ■El último símbolo

 こんなことが許されていいのだろうか。会長が変わり、少しばかりの期待感を持っていたファンが馬鹿だったのだろうか。

 思えば10年前からそうだったのだけれど、毎年毎年、シーズンオフになるとセルタはキープレーヤーとの契約延長交渉をぶち壊しかけてきた。マジーニョ、ミチェル・サルガード、フアンフラン、カセレス、モストヴォイ、カルピン、ビクトル・フェルナンデス監督とも毎年のように契約で揉めた。

 その誰もがクラブを去り、カルピンが去るときにはバライードスのファンがオラシオ・ゴメス会長を駐車場まで追い詰め、「Karpin,¡¡SÍ!! Horacio,¡¡NO!!」と大合唱した。ちょうどその場に居合わせたこともあり、僕もその合唱の中にいた。

 お金がないのはわかる。痛いほど理解しているし、巨額の移籍金を使ってスーパースターを獲得して来いなどと言うつもりはサラサラない。そんなことをセルタというクラブに期待しているわけではないし、毎年毎年優勝争いをして欲しいと思っているわけでもない。

 古くはグデリ、ミチェル・サルガード、マジーニョ、モストヴォイ、カルピンといったクラブのシンボル的な選手達を次々に失い、彼らの跡を継いで行くはずだったエドゥー、ヘスーリといった選手達も降格で失った。

 彼はそんな僕達セルタファンの最後のシンボルだったと僕は思っている。特に97年~98年頃にかけて、放送され始めたばかりのJ-SPORTSのリーガエスパニョーラ中継で輝いたセルタを見てファンになった、日本に散らばるセルタファンにとっては、「輝ける時代」の最後の生き残りだった。

 常に冷静で、ファンを大切にし、試合前でも試合後でもバライードスで声をかけると必ず立ち止まって手を挙げ、にこやかに挨拶を誰にでも返す。「引退するならセルタで引退したい。今の夢はそれだ」と常々口にしていたグスタボ・ロペス。

 前回の降格の時に、真っ先に残留を決めたのはグスタボ・ロペスとベリッソのアルゼンチンコンビだった。セグンダの最終節。昇格を決めたジェイダ戦で、交代した直後にベンチに倒れこみ、氷を枕に全身で息をしている彼の姿を見たときには、僕は絶対に彼がセルタで引退するのだと信じて疑っていなかったし、クラブもそのつもりでいるものだと信じていたのだけれど…。

 「我々にとっては、この話は既に終わったことであって、グスタボ・ロペスは今この瞬間から完全なる自由だ。彼が望むどのクラブとでも交渉できる。それ以上でも以下でもない」

 ラモン・マルティネスSDは冷たくこう言い放った。いいだろう。新任のディレクター殿。僕はあなたのその言葉を忘れない。確かに、もう僕はセルタのソシオでもなんでもないし、株式も持っていないからクラブに対して何の影響力も持っていない。けれど、この15時間離れた場所から、この一年間を通じてあなたのことを厳しく見つめていくつもりだから覚悟して欲しい。
 以前、ウェブサイト時代にも書いたけれど、あなた方は選手を評価して決定する権利を持っていると思っているのだろうけれど、僕達ファンもあなた達を評価しているのだということを忘れないほうが身のためだ。

 「セルタからこんな去り方をするつもりじゃなかった。夢が破れたよ」

 グスタボ・ロペスのこの台詞を、ビーゴでは皆どんな気持ちで聞いたんだろう。

 悲しくてたまらない。けれど8月になれば、またシーズンは始まる。
    

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ノスタルジックなセンセーション
2007年07月02日 (月) 23:34 | 編集
 ■Volver

 ちょっとスペイン語をかじったことがあったり、あっちに住んでいたりした経験がある人なら、誰でもこう思う瞬間があると思う。

 「スペイン語が聞きたい」と。

 ただし、日本にいるとなかなかスペイン語を話す機会なんてないし、あったとしたらその人はかなりラッキーなほうだ。探したってスペイン人がいない地域もあるし、探しても手がかりがない人だっているだろう。

 そうなると、手立ては一つしかない。映画だ。

 幸いなことに最近では「Todo Sobre Mi Madre(邦題:オール・アバウト・マイ・マザー)」がヒットしたこともあってペドロ・アルモドーバルの作品はまず間違いなく上映されるので、2~3年に1度は確実に彼の映画を見ることができる。

 スペインやスペイン語圏の映画はなるべく見に行くようにしているのだけれど、ダントツに面白いのはペドロ・アルモドーバルとアレハンドロ・ゴンサーレス・イリャリトゥの映画だ。アレハンドロ・ゴンサーレス・イリャリトゥは2000年に公開された「Amores perros(邦題;アモーレス・ペロス)」や2003年の「21gramos(邦題:21グラム)」、新しいところだと現在公開中の「バベル」で有名だ。

 スペイン語圏の映画だと、割とえげつないテーマを扱う上に終わり方がアメリカやフランス映画と違い、完全なるハッピーエンドがなくヒジョーにビミョーな終わり方をするのが何とも言えず、ハマる人は多いんじゃないかと思う。



 そんなスペイン語映画で、今公開されているのがスペインで名監督と言われて名高いペドロ・アルモドーバルの「ボルベール」だ。

 映画の内容は、むしろ見たほうがいいと思うので全く書くつもりはないのだけれど、久しぶりに懐かしくもあり驚かされる映画だった。
 舞台になっているのがドン・キホーテで有名なカスティージャ・ラ・マンチャの小さな村とマドリーの外れなのだけれど、スペインについて調べていればいるほど面白いネタが散りばめられている。

 ドン・キホーテは一説によると東風の強いラ・マンチャ独特の気候に影響を受けて精神を病んでいた、という都市伝説みたいな話をスペインで何度か聞いたことがあるのだけれど、映画の舞台になる村の話が劇中で出てくると、「東風の…」という話が登場する。そして、まるでその話を意識するかのように主人公が運転する車がラ・マンチャ名物の風車の列を横切って行ったり、やたらと風車が何かのオマージュの如く出てくる。実際には風車は何も関係なかったりするのだけれど、舞台がラ・マンチャであることを強調しつつ、「こんな話、あるだろ?」と見ている人にニヤニヤしながら語りかけるアルモドーバルの顔が浮かんでくるようで面白い。

 もう一つの舞台であるマドリーでは、恐らく中心になってロケをしたり、設定されている場所はバジェーカスの近くだと思うのだけれど、それをハッキリ言わないところも面白いと思う。マドリーはマドリーで不思議な街で、僕が持っている印象だと場所によってかなりイメージが違うことが多い街だ。
 サンティアゴ・ベルナベウがある北のエリアと中心部のソルでも雰囲気が弱冠違うし、中心のほうにあるとは言っても、チュエカやラバ・ピエスだと全く街の空気が違う。

 さて、別にマドリーの観光案内をしようというわけではなくて、何が言いたいかというと「バジェーカス」という場所の名前に反応して欲しかっただけである。

 そう。バジェーカスとはラージョ・バジェカーノがある地域のことなのだ。チュエカやラバ・ピエスのようなちょっとアブない香りがして刺激的なわけでもない、それでも下町の香りがするあの街である。エスタディオ・テレサ・リベーロには2回ほど行ったことがあるのだけれど、けっこう試合前にあのあたりをうろついてバルに入るのが楽しかったのは覚えている。たまたま入ったバルの常連がいい奴らだったのはあるのかもしれないけれど、一度目はセルタのアウェー戦。バジェーカスのど真ん中で堂々とセルタのマフラーを持っていたわけだから、今から考えるとなんでそんなことをしたのかは謎なのだけれど、それでもラージョの旗、マフラー、ルイス・センブラーノスとオヤジが一緒に写った写真、ミチェル・エル・セグンドやボロのサイン入りのユニフォームが飾られているバルのカウンターにいたヒゲ面のオッサン達は場違いな日本人を面白がって酒を奢ってくれた(1杯だけ)。

 映画の中で、主人公が降りたバスの行き先表示に「Puente de Vallecas(プエンテ・デ・バジェーカス=バジェーカス橋)」と書いてあるのを見て、無性にあの街が懐かしくなったのだった。
    

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