クーマン:「アルベルダ、カニサーレス、そしてアングーロのことは過ぎ去ったことだ」
ロナルト・クーマンといえば、バルセローナをヨハン・クライフが率いていた「ドリーム・チーム」の時代にウェンブレーで行われたチャンピオンズ・カップ決勝において、フリーキック一発でバルサに最初のビッグイヤーをもたらした人物。
ファンからも信頼され、人気もあった選手としてバルサでは過ごしていたが、監督としては冷徹な人物として数々の噂を耳にする。
「耳にする」というのは、僕は実際には彼がこれまで率いていたクラブのことを細かく追いかけてはいなかったし、そこで何があったのかについても大した興味も抱いてこなかったから。
ただ、様々な話や噂を耳にしても、僕個人的にはそれほど驚くようなことでもなかったのは事実だ。
サッカー選手として有能で、才能に溢れた選手だったとしても、それと人間性の話とはまた別になるし、選手としてどうかということと、監督としてどうかということとは、これもまた別の話であることはサッカーを長く見ている人なら誰でもわかることだ。それに、「選手と監督」の場合で才能が異なるのは何もサッカーに限った話でもない。
クーマンが冷徹に選手を切り捨てるだとか、あまりにも人間味に欠ける対応を平気で取るということを聞いて驚いた人はいるのかもしれないけれど、彼の日常生活での態度を見ていると別に不思議でも何でもないと思えたかもしれない。
僕がスペインに住んでいる時、ちょうど彼はバルサで仕事をしていた。確かアシスタント・コーチか何かも途中からしていたような気がする。ただ、とにかくバルセローナには居を構え、バルサのスタッフとして仕事をしていたのは確かだ。
そんな彼と、僕は3回ほどバルセローナの街で遭遇したことがある。一度目はカンプ・ノウの脇にあるバルサ・ミュージアムの駐車場。二度目は街中のレストラン。三度目もカンプ・ノウの駐車場だった。
僕の運が悪かったのか、それともただ単純に彼の機嫌が良くなかったか、激務に追われて多忙過ぎたからなのかは今となってはわからない。もしくは、僕達のように「他人」として彼と公私の生活で接点がない人間には、彼のスペイン語はファン・ハールのスペイン語のように意味不明にしか聞こえないレベルだったのかもしれない。
そうだったとしても。
一度目。駐車場で子供連れのファンが写真撮影を頼んだ時の、
「写真?いいけれど、さっさと撮ってくれ」
(ニコリともせずにカメラも見ないでファンと写真を撮った後)
「もういいか?急いでるんだ」
という会話のやり取りが、プロのサッカー選手として経験を積んできた人物がファンに対して取る「あるべき姿」であるとは思えない。
中田英寿がある時期を境にほとんどの場合プライベートな場所で遭遇したファンとも写真を撮らなかったのは有名だけれど、ひょっとしたらクーマンもそうだったのかもしれない。
二度目に遭遇した時、彼はレストランで2〜3人と食事をしていた。気がついたファンが彼の食事が終わるのを待ち、外に出ようとした時に声をかけていた。
「Hola,señor Koeman.Llevo 20años el socio del Barca.Ví su golazo del final de 92.Pues...estoy muy emocionado de que encontrarle.¿Podría sacar una foto conmigo por favor?」
「こんにちは、クーマンさん。私は20年来のバルサソシオです。92年の決勝での貴方のスーパーゴールも見ましたよ。いやぁ〜、貴方と会えるなんて感激してます。もしよろしければ、私と写真を撮ってもらえませんか?」
声をかけていた男性はけっこう年配で、スペイン人としては珍しく敬語を使ってクーマンに話しかけていた。恐らく、大方のプロスポーツ関係者であれば、この言葉を受けて写真の一枚や二枚くらい撮っていたものだろう。ところがクーマンは彼にこう言った。
「Lo siento,no quiero sacarme ni una foto.」
「悪いが、一枚たりとも写真は撮られたくない」
ハトが豆鉄砲を食らったような顔、というのはこういうのを言うんだと僕は男性の顔を見て初めて思った。すぐ近くで声だけ聞いていた僕も驚いたのだから言われた本人はもっと驚いただろう。そしてショックだったに違いない。
だからクーマンが全て悪い。…という結論に持っていきたいわけではない。彼がそういう性格の人物であることは何も悪いことではないし、ファンが彼に「生き様を変えろ」などと言う権利もない。まあ、対応の仕方はどうかと思うのは事実だけれど。
クーマンのこういうところを見たことがあると、今回バレンシアで起こっていることはあまり僕にとっては意外なことではない。
特に、ソレール会長のこれまでの選手獲得手法や監督人事を含めたクラブの運営方法を見ている限りだと、似たようなことはいくらでも起こる可能性はあっただろう。
クーマンがどういう性格の人物だろうと、どんな監督哲学を持っていようと構わないし、チームの指揮と構成を任された以上は選手の見極めをする権利は有しているわけだから、誰を戦力外にしようが実際には彼の自由だとも言える。
ただし、クラブが選手に対する扱いをどうするかについて言えば、話は別だ。クーマンを擁護するつもりも一切無いけれど、今回のバレンシアがアルベルダ、カニサーレス、アングーロに対して行った仕打ちは、とても血の通ったクラブのすることとは思えない。
恐らくソレールもバカではないから相当の意図があって今回の決定をしたのだろうけれど、ファンの立場に立って考え、ファンを味方につけて今後のクラブ運営を有利に進めようと考えるのであれば、もう少しやり方を慎重に選ぶべきだっただろう。噂になっているように、今回戦力外になった三人が異常な発言権を持ってしまったがために監督人事やその他のクラブ内部における利権争いにまで発展してしまっていたのだとしても、ファンにとってはクラブを発展させてくれた功労者であり、地元から出てきた「最高の息子達」であることに変わりは無い。
そもそも、就任して間もないクーマンだけでこんな決定を下せるわけは無い。もちろん、公式なコメントとして刺激的な台詞を吐く以上、何かしらの恩恵は受けるはずだが、どうせそのうちいなくなる傭兵監督である。スペインの片田舎の人間全員に嫌われたところで痛くもかゆくも無いだろう。
開幕前のセルタにおけるグスタボ・ロペスの一件で思ったが、結局こういうところでクラブとして、言い換えれば会長としてどういうスタンスでクラブ運営をしているのかが露呈される。
ファンを味方にしようとしているのかそうでないのか。
「俺がボスだ」と言いたい様な権力主義者なのかそうでないのか。
クラブのことを愛しているのかそうでないのか。
何のためにクラブの会長になっているのか。
こういうことが長い間クラブに貢献してきた選手に対する対応でハッキリとわかってしまう。そして、恐らくそういうことは選手が一番敏感に感じ取る。「ああ、自分は厄介者だと(この会長には)思われていたんだ」と。
グスタボ・ロペスが夏に流した涙と、今回アルベルダが流した涙が僕には被って見えた。クラブを発展させるためには若手への世代交代が必要。そのためには今この段階でベテランを放出しなければならない。…例えばこんな理由であれば、納得したうえで出て行く選手もいるだろうし、そんな場合ならこんな涙は流さないはずだ。
「バレンシアがキミを放り出したということを知った時、キミの両親はどう感じたかな?」
という質問に、アルベルダは答えることができなかった。そして、答えられず堪えきれず、涙を溢れさせたアルベルダを、記者達は拍手で抱きしめていた。
会長の人間性が露呈するのもこういう場であるなら、選手としての人間性が露わになるのも、こういうシーンであるのだろう。
ただ、こんなシーンはできればあまり見たくないものだと今は思わざるを得ない。
↑ ご協力をお願いします ↑
ただ、バレンシアの崩壊についてはちゃんと考えられなかったとか、自分以外の人間に感情があるというのを忘れているの?という感じではありましたね。
サンタンデールに住んでいた時にプレシーズンマッチでラシン対ローマがあって、追っかけと思われる日本人の女性集団がバスの中の中田にカメラを向けたら背中を向けてカーテンを閉めてしまっていました。ファンの人達はそれを見て「中田らしい!」となぜか喜んでましたけど…。
バレンシアの崩壊に関しては、かつてバルサでも似たようなことはあったし、マドリーでもデル・ボスケやイエロの件があるので、ある程度の規模になってくると様々な思惑が絡んで少なからず起こる種類のことなのかもしれないですね、残念ながら。





